「上司が評価してくれない」「やりがいが見出せない」「気持ちが安らがない」……。2500年前の教えをもとに気鋭の僧侶が古くて新しい悩みに答える。

過去や未来ではなく「いま」に専念を

●給料は現状維持。給料以外、何を励みに働けばいいのか。
●目標の見つけ方がわからず、やる気が起きない。
●仕事がつまらない。自分に合っていないのではと思う。

「かけがえのない自分」への執着は、「そんな自分にふさわしいことを成し遂げたい」という欲望をも生み出します。そうした「やりがい」のために「励み」や「目標」が欲しくなり、「こんなつまらない仕事は自分に合っていないのでは」と思ってしまう。これらのケースもまた、欲望から生じる悩みです。

現代人は「他人にはできない特別なこと」をするのが「やりがい」であると思い込まされているように見受けられます。そうした「自我を刺激する特別性」を重視すること、また「やりがいがなければ」という価値観そのものが、暮らしが豊かになったごく近代になって認識され出したものです。昔の農民はたんに食べるため、生きるために働いていましたし、戦後もしばらくはともかくがむしゃらに頑張ることが重要でした。

日本人は集団で似たようなことをするのが得意で、それで国を発展させてきたという一面もあります。つまりもともとの日本人の国民性は、「同質性」であると考えられるのではないでしょうか。「自我の特別性」は日本とは文化が異なるヨーロッパから移入されたもので、私たちは異質な思想に“洗脳された”ことにより、よけいにつらく、悩まされるはめになったのかもしれません。

それはともかく、やりがいは欲しいと思っても得られるものではありません。やりがいを求めているうちは手に入らないのです。どんな仕事であれ、いまやるべき目の前のことにコツコツ取り組むうちに充足感がわいてきます。つまり、やりがいは“事後的に”出てくるものです。

ブッダは「過去や未来にではなく、『いま』に専念すること」が大事だと説いています。まずは意識を「いま」に向け、自分に与えられた仕事、自分がやるべきことにひたすら打ち込みましょう。