2013年6月7日(金)

さあ、入梅イワシを塩焼きで

dancyu 2012年7月号

福地享子=文
【つくり方】
背中がこんもり丸い太ったイワシを使いたい。ワタを抜いたら、まんべんなく薄塩を。腹の中も忘れずに。そして、1時間ほど置く。これがポイントで、塩がなじみ、余分な水分が抜ける。あとは少々黒焦げができても、気にせず焼いて、ポン酢タラリ。

ラジオ番組で「心に残る味」をたずねられた。カッコイイ答えをと、脳味噌を七転八倒させるも、パカッと浮かんだのはイワシの塩焼き。どう考えても、イワシの塩焼きしかなかった。

あれはホントにいい時間だった。夕暮れ、庭に七輪を出す。子どものころ、なにが得意かって、炭をおこし、魚を焼くことだけは、母よりうまかった。七輪に古新聞紙を丸め、細い枝数本、消し炭、そしてこの案配が微妙なのだが、炭を風が通るようにのせる。マッチで火をつける。やがて炭がパチパチはぜる。焼き網をのせる。炭がおとなしくなったら、網にまん丸に肥えたイワシ。脂がジュッと落ち、青い煙が淡い宵の闇に溶けていく。

月は出ていたのだろうか。夏水仙はツボミをつけていたのかしら。家のなかは、夕食前の音にあふれていたはずだが、その記憶もない。あるのは、眼の前で勢いよく焼けていくイワシだけ。ひっくり返す。焼き網のあと。プクリとふくれた皮は、黒く焦げている。焼きあがると、私は凱旋将軍のような気分で、イワシの皿を食卓へ運ぶのだった。

父の給料前の節約料理のはずだったが、どんなごちそうにも負けない気がした。ご飯をお替わりし、この子が魚を食べたあとは猫またぎだ、と父が笑うのも誇らしい気分にさせてくれた。

そろそろ入梅イワシが始まる。入荷が絶えることないイワシだが、関東のイワシは梅雨のころ、脂がのってきて、それを入梅イワシと呼ぶのである。

イワシがとれなくなったと、騒いだのは、2000年前後のことだった。ニュースにもなり、市場では、金太郎イワシと称するまん丸なものがキロ6000円もした。今は順調な入荷。イワシ担当と「あれはなんだったろう」と、苦笑いだ。

高くてもしかたない、として売っていたあの時期、私はお客さんに「2010年まで待って」と、伝えたものだ。根拠はひとつ。故河井智康さんの名著『イワシと逢えなくなる日』(角川ソフィア文庫)で、2010年以降は回復に向かう、とあったからだ。海洋学者である河井さんは、イワシが豊漁を続け、1988年、450万トンの大台を記録した年、「イワシは必ず減る」と予測して、その本を刊行。予測は的中、2005年には2万8000トンにまで落ち込んだのだった。

それが2011年あたりから目立って挽回。2010年は真実に。私は、ただの読者に過ぎないが、内心、鼻高々である。

さぁさ、入梅イワシで塩焼きだい。ジュージューいってるとこにポン酢をタラッ。四の五のいわず、食って食って。アレがうまいのなんのって、ほざいてたことが、恥ずかしくならぁってもんだい。

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福地 享子

かつて女性誌の編集者、その後、築地の鮮魚仲卸「濱長」の看板ネエサンとして大活躍。現在は築地の書庫「銀鱗文庫」役員。ここを拠点に、築地を走り回っている。