聖書は古の書物ではなく、私たちの生活にも優れた示唆を与えてくれる……。大ベストセラー『超訳 ニーチェの言葉』の著者が、職場や家庭でのビジネスマンの尽きぬ悩みに、独自解釈した聖書の言葉で応える。

「疲れた」と思っていても「疲れた」と口に出さなければ、言ったときよりも疲労は少ないものだ。「もう駄目だ」と思っても口に出さなければ案外頑張れる。口に出すことで肉体が反応してしまうのだ。

ネガティブに考えるクセがあっても、なるべくそれは口にしない。逆にポジティブなことを口にするように心がける。頭の中で思うよりも、口にすることのほうが、人生を動かす力になりやすい。口にすればするほど、ハッキリと人生を決める力は強くなる。

右の言葉は旧約聖書「格言の書」の一節。格言の書は紀元前5~4世紀頃、あるいは紀元前3世紀頃に編纂されたともいわれ、信仰厚い生活を送るための宗教的格言集である。格言の前半分くらいはダビデの息子で栄華を極めたソロモン王の言葉とされている。

聖書は言葉を非常に重んじている。イエスの最初の弟子ヨハネが書いたとされる新約聖書の「ヨハネによる福音書」は「初めにみ言葉があった」という有名な書き出しで始まる。

「……み言葉は神と共にあった。み言葉は神であった。み言葉は初めに神と共にあった。すべてのものは、み言葉によってできた。できたもので、み言葉によらずできたものは1つもなかった。み言葉の内に光があった。この命は人間の光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光に打ち勝たなかった」(ヨハネによる福音書 第1章)

この一文を論理的に解釈するのは難しい。それが書ければ一冊の哲学書になるだろう。ただ「聖書にそう書いてある」としか言えない。言葉は万物の源であり、創造の最大のエネルギー源なのだ、と。

聖書の言葉

愚かな者は、じっくりと考える
ことをしない。自分の感情的な
思いを言いふらすばかりだ。
彼らは知恵はない。彼らは、
人の言うことをよく
聞きもしないで返事をする。
愚かな者の言うことは、
争い、不和、悲しみ、苦しみを
呼び寄せる。彼らは怠け、
結局は滅びを招く。
人生は、自分が何をどう言うか
によって支配されるものだ。
人生の果実とは、
自分の唇が育ててきたものだ。

格言の書 第18章