江戸時代、三井家の3代目・高房は『町人考見録』を著し、「大名にカネを貸すべからず」という家訓を残したそうだ。そこには踏み倒し大名ワーストテンが記されており、仙台伊達家はその代表格だったという。

13歳で大阪の中堅米仲買、升屋の丁稚となり、25歳で大番頭となった山片蟠桃(ばんとう)は、それまで仙台藩に資金を提供していた蔵元が「用立てる資金のほうが、任される蔵米の額を超過する」と投げ出した後、代わって藩を支えた商人である。財政に窮していた仙台藩に融資を続け、藩の財政破綻によって升屋も連鎖倒産する危機を、類まれな商才で切り抜けた。バブルの田沼意次に代わり、松平定信による徹底した緊縮財政の「寛政の改革」が実施された時代のことである。

水の都である大阪は、全国から米が集まり、ここで米価が決定され、米市場の中心地として発展した。大阪が「天下の台所」と呼ばれた所以である。各藩の財務担当者は蔵屋敷が並ぶ大阪に出先機関を置き、藩米を担保として、蔵元や米仲買を通じて資金の調達をしていた。このため米を扱う商人は、銀行の役割も担っていたのである。仙台藩に巨額の資金を貸し付けていた蟠桃は、米の相場だけでなく、政治が絡む金融の仕組みについても頭に叩き込んだ。

米商い(金融)の実践で鍛えられた蟠桃は、経済の本質は拡大・成長にではなく「循環構造」を維持することにあると考るに至った。副題にある「天下は天下の天下なり」という言葉に、その考え方の基本がある。つまり、「天下は武士の天下でも商人や農民の天下でもない」。それぞれが役割を果たし、渾然一体とした構造が天下の流れを維持しているのだと。

一方、若くして『論語』を丸暗記してしまうほどの頭脳に恵まれた蟠桃は、「蟠桃のような独創的な思索家が、あの窮屈な江戸時代社会のなかから出たというのは、奇蹟のようなものである」(司馬遼太郎)と評されるほどの思想家でもあった。

晩年、蟠桃は後世に名を残した著作、『夢の代』の執筆に没頭する。同書では、合理主義者として神道、仏教について、その非合理を過激な言葉で、徹底的に批判している。士庶にまで広がった伊勢信仰についても、「神官どもが仏教の悪風をまねて、銭稼ぎのために庶民信仰をあおったのが原因」「何かを唱えていなければ参詣人から銭をもらえないから、神楽を奏したり、祓いをしたりしているにすぎない」と容赦ない。ただし、徹底した唯物論である一方で、古臭い儒教道徳が見られるのも、江戸時代の大知識人らしく、面白い。

本書は蟠桃の生涯を辿りながら、独創的な思索について紹介するという試みだけに、行きつ戻りつといった印象もあるが、ともあれ、江戸時代の類まれな商人であり思索家を知るだけでも、興味ある書物である。