独創でもパクリでもなく

ただ、だからといって私は、近年の著作に独創性がないといいたいわけではありません。TOPIC-1でも示したように、私は自己啓発書(に限らないかもしれませんが)とは「差別化に差別化が重ねられていき、それを俯瞰して見ると、あるいは時を置いてみると自動運動しているように見える」メディアだと考えています。ベストセラーについて、それを天才の独創性だと持ちあげるのでも、あるいは「パクリ」だとこきおろすのでもなく、何を先行する言論から引き継ぎ、何を新たに差異化して提示しているのかを考えるほうが、より私たちが分かることも増えるのではないかと思うのです。

では、近年の著作の何が新しいといえるのでしょうか。まず率直にいえば、まったく新しい「発想」というのは、ほとんどないのではないかと思われます。新奇性を見出せるのは、「組み合わせ方」という水準においてだと私は考えます。たとえば舛田さんでいえば、鍵山さんの時点では自己の修養という文脈で考えられていた掃除の効用から一歩踏み出て、アメリカ発の生活整理術で語られていたような家事による夢の実現というアイデア、『脳内革命』などにもある人智を超えた存在への言及を組み合わせているところにおいて、これまでにない、差異化された著作になっていると考えられます。

近藤さんややましたさんの場合は、これまでの連載で幾度か言及してきた、女性的自己啓発書の文脈への引き込みにおいて新奇性があるように思えます。つまり、日常生活の一コマ(この場合は片づけ)と自己発見、人生の変革、夢の実現を結びつけていくという、この時期さまざまなジャンルで同時多発的に起こっていたムーブメントを取り入れ、片づけを他人ではなく自分の心を大事にするため、自分らしくあるため、自分を好きになるために使おうとするところに新奇性があるように思われます。彼女らの場合は本人のタレント性も大きく関係しているのかもしれませんが、発するメッセージという水準ではこのような結びつけ方の妙に特性があるように思われます。

ただ、組み合わせ方が新奇であることがすなわちベストセラーの条件だと簡単にいえるわけではないとも思います。というのは、小松さんの著作について考えるとき、そのキーポイントになっている、片づけ(捨てること)と人生、自己発見、仕事上の能力を結びつけるというアイデアは、先行する著作と比べて特段に新しいとはどうしても思えない(少なくとも私には)ためです。結局、なぜベストセラーが生まれたのかということの説明は難しく、事後的に解釈することしかできないように思えます。