【田原】日本7位ならオリンピックも夢じゃない。もったいない。どうして柔道をやめたのですか。

【山口】全日本の舞台に立って自分の柔道ができたことで満足したんでしょうね。もともといじめから自分を守ることが柔道を始めた動機だったし、小学生のころから抱いていた「学校をつくって社会を変えたい」という夢に戻って大学進学を目指すことにしました。

【田原】でも、柔道一筋で勉強してなかったでしょう。よく一発で大学に合格しましたね。

【山口】工業高校は3年になると建築や溶接の授業ばかりになって、数学は勉強しなくなります。それではまともに受験できないから、最初は一浪するつもりで準備していました。でも、SFC(慶應大学総合政策学部)は英語か数学、どちらか1科目でよかった。それなら5科目やるよりいいと思って目指していたら、面接と論文だけでいいAO入試で受かってしまいました。

大学院留学先はバングラデシュ

田原総一朗氏

【田原】慶應に入学して、山口さんは竹中平蔵さんのゼミに入ったそうですね。どんな人でしたか?

【山口】やさしくて、礼儀正しくて、学生に対してもあったかい人です。すでに大臣になられていたので、先生は半年に数回しか来られませんでした。いまでもよく覚えているのは、プレゼンテーションの日。みんなは日銀の政策について議論していましたが、私は1人で貧困の国について発表。すごく緊張したのですが、先生が「よくがんばったね」と声をかけてくださって、それがとても自信につながりました。

【田原】どうして貧乏な国に関心を持ったのですか。 

【山口】マクロ経済の授業の中で、先生が「貧しい国に必要なのは教育だ。人的資本だ」という話をしてくださったんです。それで教育をやるなら、日本だけじゃなく、貧しい国という選択肢もあるなと。それでワシントンの米州開発銀行にインターンに行ったのですが、ワシントンで議論していても援助が貧しい人のところに本当に届いているのかよくわかりませんでした。それで現場を見てみようと、当時アジア最貧国のバングラデシュに飛びました。