ヤマトマルチメンテナンスソリューションズ 
リスクマネジメントカンパニー 
プレジデント 清水淳二

「事業化に向け、苦労したのはサンプルの案件探しでした。法改正前、企業はリコール対応を表沙汰にしなかったため、訪問しても塩をまかれんばかりに門前払いです。それが法改正後、『前回はお帰りいただいたが実は……』。企業もノウハウを持っていなかったのです」

間違った指導はできない。リコールサポートコンダクターという専門知識が必要な社内資格を設け、制服もつくったのは、「利益を得るより安全を確保する」ことを社会に約束する意思を込めた。その意思を共有するため、初期メンバーはよく知る面々を各社から集めた。

「初めのころ、リコールが発生した大阪の企業に行くと担当者が3日間寝ておらずノイローゼ状態。報告書類、電話回線の本数等々、次々手配しましたが、『とにかくいてくれ』と1週間帰れませんでした」(ヤマト運輸出身の宇佐美志郎)

「スピードが命。頼りはJSTを組む各社の仲間のネットワークでした」(ヤマトシステム開発出身の茂木孝夫)

ただ、事業としては1つ弱点があった。リコールはいつ起きるか不明で業績に波が生じる。「大間のマグロ漁師もマグロだけでは食べていけないのでイカ釣りも必要」とは清水の言葉だが、その解決の道筋も仕組まれていた。本人が語る。

「当時、ヤマト内では、通信インフラの故障時にパーツを2時間以内に届けるサービスや、メーカーの修理業務のアウトソーシングサービスをやっていました。リコールサポートを合わせると、パーツ、修理、リコールと製品のライフサイクルにわたるサポートという概念でくくれる。これはどこにもない。今後の発展を考えて3つを切り出し独立したのです」