現在、日本政府とミャンマー政府との間で早期の投資協定締結に向けて準備会合が進んでいる。投資協定締結のホイッスルと同時に、雪崩を打って日本企業のミャンマー進出が本格化するだろう。もうすでに経団連所属企業に限らず、中小企業も含めた300社程度の日本企業がスタートラインで笛が鳴るのを待っている状態だ。

昨年がミャンマーにとっての「政治の夜明け」であったとすれば、今年は間違いなく「経済の夜明け」になるだろう。日本企業にとってそれは「ミャンマービジネス元年」を意味する。

スーチー女史、27年ぶりの来日

海外からの投資に沸くミャンマーだが、市場開放で安定した経済成長の波に乗れるかどうかは、今後の政治情勢にかかっている。

この4月13日~19日の日程で、ミャンマー最大野党の党首であり、ノーベル平和賞受賞者でもあるアウンサンスーチー女史が来日する。京都大学で客員研究員であった1986年以来、27年ぶりの来日である。昨年来、15年に及ぶ軍事政権による軟禁生活によって長く外訪できなかった自らのゆかりのある地を順々に訪問しており、イギリス、欧州、インド、アメリカ、そして、終着地として「桜の咲く頃、日本を訪問したい」という意向を昨年から日本政府に示していた。その念願が叶っての来日である。

来日中は安倍首相、岸田外相との会談、京都大学や東京大学での講演などが予定されている。スーチー氏は東日本大震災の被災地訪問をする意向も示しており、もしかしたら東北で桜を観ることができるかもしれない。

スーチー氏の「独裁的意思決定」に批判も

去る3月中旬、1988年のNLD(国民民主連盟)結党以来初の党大会が、ヤンゴンで開催された。党の最高意思決定機関である中央執行委員会のメンバーを選出し、スーチー女史が党首に再選された。NLDはミャンマー民主化の象徴であるスーチー女史を党首として、そのカリスマ性に依存してきたが、ここにきて党内部にも変化が現れている。今まででは考えられなかったことだが、スーチー女史の独裁的意思決定を批判する者も現れるようになった。このような変化自体、NLDが民主政党として組織内部も民主的に機能していることの表れであるが、これは、NLDが2015年の総選挙において政権政党になり得るかが問われる過程に入ってきたという外部的要因も影響している。