2010年代の衰退なき飽和

とはいえ、これは『アソシエ』の特集という、一雑誌メディアを対象にした話で、一般化するにはまだ性急です。そこで最後に、2010年代の「手帳術」関連書籍を眺めてみることにしましょう。

「国立国会図書館サーチ」で検索をかけると、タイトル・サブタイトルに「手帳術」を含む書籍の刊行点数は、2010年から2013年の間で計22冊となっています。その用途について概観してみると、デキる人になる、アイデアが湧く、お金が溜まる、幸せになる、キレイになる、人生が輝く、夢がかなう、といったものです。

以前からあった用途もあれば、新たに登場した用途もあります。しかしいずれにせよそのポイントは単純で、手帳にこまめに書くことによって、スケジュール・情報・アイデアの管理を行い、また目標に近づくプロセスを可視化して自己管理と動機づけに用いる、というものです。これは既に2000年代前半までには出揃っていた「手帳術」であり、その意味で新奇性はないように思えます。

また、2010年代になると、「手帳術」という言葉がタイトルに冠されているものの、その内容は、使ったお金やその日に食べたものを書き留める先がただ手帳であるというだけで(つまりメモ帳でもノートでもよい)、それ以外に特筆すべき手帳の使い方が示されているわけではないという書籍も数点見ることができました。これは第6テーマ「セルフブランディング」についても同様だったのですが、ある言葉のブームが起こるとやがて、書籍の内容とそれほど関係がなくてもその言葉をタイトルに冠する書籍が出てくるのではないかと思います。ここから私は、そのような書籍が出てくることは、既にその言葉のブームが頂点を過ぎたということを意味するのではないかと考えています。

2010年代の「手帳術」関連書籍にはあと2つの傾向があります。1つは、各種のアプリを活用できるスマートフォンをシステム手帳として用いようとする、スマートフォンの活用ガイド本です。どのようなアプリがあるのかということは、それはそれで重要なことなのですが、いわばスマートフォン「手帳術」は『アソシエ』でも扱われ続けている内容であり、書籍独自の動向ではありません。

そしてもう1つは、手帳をどう選び、どう使うかということが、著名人の利用法などの紹介から解説される書籍、つまり『アソシエ』が毎年行っている特集の書籍版(多くはムック形態)です。ここでもまた、糸井さんをはじめとして、登場する顔触れはある程度決まっています。

整理しましょう。2010年代の「手帳術」関連書籍は、そのバリエーション、用途、ハウ・トゥのいずれにおいても、『アソシエ』が続けてきた特集と同じような傾向をもつものでした。ここで私がしたいのは、『アソシエ』がこうした傾向の発信源なのか、あるいは書籍なのかという話ではありません。私がいいたいのは、飽和状態に向かっていると解釈した『アソシエ』の「手帳術」論の動向を、書籍が追い越していかないということ、つまり先に述べた顔ぶれ、スケジュール・アイデア・夢・「自分らしさ」・遊び心といった用途、そして整理できないほどに溢れる手法のそれぞれを見ても、2010年代の「手帳術」論は、2000年代の議論をそのまま引き継いで展開されているということです。いわば「ポスト『ゼロ年代』」特有の動向が見出せないのです。

しかし、注目すべき新動向がないから、「手帳術」は衰退に向かっていくわけではありません。新たに登場する大きな傾向はないものの、細かな「手帳術」は際限なく増殖し、その一方で最低限抑えておくべき、「手帳学」と先に呼んだような学ぶべきことの体系がしばしば提示されるようになったということは、「手帳術」は興隆の時期を過ぎ、定着の時期に来ていると解釈することもできます。

さてここで、TOPIC-1で示した今回テーマの「狙い」に立ち戻ってみましょう。「手帳術」を扱う狙いは2つありました。1つは、「手帳術」から、日常生活が気づくと自己啓発の実験場と化してしまうような現代社会について考えてみようということ。もう1つは、夢をかなえ、人生が変わるといった手帳の「効用」が2000年代になって喧伝されるようになったことをどう考えるのかということです。これらの双方を考えていくためには、「手帳術」が定着するような社会とはどのような社会なのかを考えていく必要があります。次週はこのことについて扱ってみたいと思います。

『ほぼ日手帳公式ガイドブック
 ほぼ日刊イトイ新聞編/マガジンハウス/2008年

『賢人の手帳術
 糸井重里ほか/幻冬舎/2012年

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