かつては大学を出ると、経験もないのにいきなり化学プラントをつくったり、勝閧橋をつくったりしていた。みんな図書館で欧米の文献を調べ、それを頼りに試行錯誤を繰り返しながら実際の仕事を手がけていったのである。昔の新聞にはよく“国産化第1号”と出ていたが、第1号をつくってみてうまくいったら、さらにスケールアップして第2号、第3号をつくっていく。そうすると第7号ぐらいには、欧米とも競争できるようなものが出てくる。これが日本のやり方だった。つまり、戦前までの大学は実学の場所だったのである。