まず被災地に送る緊急物資を手配した。東北唯一であるダイエー仙台店では、物流を業務提携しているイオンに委託していた。しかし、イオンの物流センターも被災。対策本部は、トラックをチャーターして、千葉の倉庫から仙台店への物資の搬送を決めた。平常時、仙台店では1日で10トントラック2台から3台分の商品で間に合うが、12日の夜には、10台以上の10トントラックが緊急物資を積んで東北自動車道を北上。仙台を目指した。

「あらかじめ緊急物資はリスト化されていました。送る物資は3日ごとに変わっていくんです」と野口は説明する。被災直後は、水のほか、缶詰やおにぎりなどすぐに食べられる物が必要となる。数日経つと温かい食べ物を調理するためのカセットコンロやガスボンベなどの需要が増してくる。その後は下着などが求められるという。

物資の次は、品出しと陳列に必要な人手の確保だ。ふだんなら、カートに載せた商品は、積み替えなしで配送センターから売り場まで届けられる。店内への搬入作業は従業員が2、3人いれば問題ない。けれど、今回はそうはいかない。エレベーターは動かせない。チャーターしたトラックには専用のリフトが装備されていない。緊急物資はトラックのコンテナからバケツリレーのようにして人の手から人の手にわたり、売り場まで運ばれた。

第1陣の応援部隊、60人を乗せた大型バス2台が出発したのは、13日午前10時。応援部隊は2泊3日単位での交代制。食堂での雑魚寝。シャワーもない。そんな環境で合計16陣、のべにして600人が、1カ月にわたって仙台店の営業を支え続けた。

「社内で培われた風土が、いまも受け継がれている」と野口は実感した。

1949年、ダイエーは神戸で創業した。流通インフラを整備し、全国に店舗を展開。阪神・淡路大震災での対応は早かった。兵庫県内の店舗が被災当日から営業を再開。ナショナルチェーンの強みを活かして、全国で調達した物資を神戸へ供給した。

阪神・淡路大震災当日の昼。野口は応援部隊が乗り込んだ大型バスを今回と同じように東京から被災地へと送り出した。急遽、チャーターしたバスのルーフに雪が積もっていたのを、野口はいまもはっきりと覚えている。

(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

(小倉和徳=撮影)