シリア企業と攻防脅迫にも屈せず

75年4月に入社。国内外の船舶リース担当で、早速、上司に短い英文を渡されて訳すように言われる。でも、四苦八苦。机に向かうだけの2年間に「辞めようか」と思うが、やがて世界のビジネスに触れて「国内のしきたりより、海外の流儀のほうが性に合う」とのめり込む。

6年目の夏、香港へ赴任する。日本を出る前、社長になった宮内さんに「きちんと、英語の勉強をしてこい」と言われた。入社時の誤解は、もう消えていた。1年半いて、新設されたギリシャ事務所へ異動する。ギリシャ人の運転手と女性秘書の3人世帯。海運不況が長引き、船の差し押さえや訴訟などタフな仕事が続く。このあたりから、「断而敢行」の井上流が、随所に顔を出す。

85年、タンカーをリースしていたシリアの企業で内紛が起きて、社長が交代した。その後、リース料が滞り、電話で催促したら「カネは、アラーの神の思し召し次第だ」と断られた。「それでは、タンカーを差し押さえる」と言うと、「こちらには、いっぱい暗殺者の友人がいる。いつでも、そちらに送るぞ」と脅された。屈せずに、「送るなら、送ってみろ」と言って電話を切る。

インドネシアにいっていたタンカーの差し押さえ合戦、機関銃を持った警官らの登場、秘密警察による追跡と、スリル満点の展開を経て、タンカーはシンガポールで相手側に抑えられてしまう。その間、本社の担当者は「お前がやったことだ、知らないぞ」と冷たい対応に終始した。弁護士が「もうダメだ」と言った翌朝、「船が解放された」との知らせが届く。シリア企業が船を差し押さえた弁護士に費用を払わず、弁護士が怒って差し押さえを解いてしまっていた。漫画のような結末ではあったが、すべて「断而敢行」の気構えがもたらした成果だった。

2011年1月、社長に就任。社内報で「役員会にも出てきて課題はわかっているので、それをどう解決していくかと、ROE(株主資本利益率)10%の達成が、自分のミッションだ」と語った。ROEは、リーマンショック後のどん底からは回復したが、目標達成は簡単でない。でも、個別にみると、海外事業のように順調なものもあれば、不動産などROEの足を引っ張っているものもある。不動産で言えば、物流拠点やショッピングモールなど、いい値になっているものは抱え込まず、売却して利益を確定すればいい。ゴルフ場も、低収益なのに、一度持ってしまうと手放そうとしない。新しい資産に入れ替えていけばいいのだ。

オリックスは、ロスでやめた飛行船のように事業を打ち切る例は、少ない。互いに関連するサービスが多く、ものづくりのような「選択と集中」は難しい。でも、事業部門同士の連係プレーがなさすぎる。ゴルフ場とホテル、生命保険と介護サービスなど、少し組み立て直し、付加価値を高める工夫があっていい。

どこを、どうすればいいのかは明確だ。社長になったといえども、これからも「断而敢行」の気構えを、引っ込めるつもりは全くない。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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