芸人知事は民主主義を変えたか

「(自分は)改革者だ」と語る東国原知事(手前は筆者)。
「(自分は)改革者だ」と語る東国原知事(手前は筆者)。

東国原は「重要な一点」と言って、国と地方自治のあり方について語る。

「国の政令、省令、枠付けなどで細かいところまで縛られている。想像はついていたけど、知事になってみて非常に閉塞感や息苦しさを感じる。絶対に打破しなければ」

打破するのに、知事としてでなく、自ら国政の側に入って奮闘する考えはないのかと尋ねると、こう答えた。

「国政というよりも、この国の行方に非常に関心を持っている。変えなければ」

もし国会議員になるなら、どんな心構えが必要と思っているのか。

「国益を考えなければ。国民を代表しなければならないと思っている」

政治家として1番、気をつけなければならないことはと矛先を変えてみた。

「プライバシーに関わるスキャンダル。だけど、私はお金は大丈夫だと思う。後援会も含めて、細かいところまで目を光らせているつもりだ。やりかねないのは醜聞のほうで……」

「そのまんま東」らしい回答だ。

国政転出の可能性は高いと感じるが、ここまで宮崎県で展開された東国原政治が短期間で数多くの問題点を提起したのも事実である。「劇場政治」の地方版がもたらした功罪、タレント知事とポピュリズムの関係も重要だ。中央集権体制による閉塞状況の地方自治の下で、高人気の芸能人知事を担ぎ出す地方の反乱現象など、問題は幅広く、奥深い。

だが、「宮崎の実験」という意味では「芸人知事は民主主義を変えたか」という視点も見逃すことができない。