2013年2月22日(金)

決断のバイブル「遠大なる企画」「萬事入精」 -住友電気工業社長

経営トップ「人生の最悪期をどう乗り切ったか」

PRESIDENT 2011年8月15日号

斎藤栄一郎=構成 永野一晃=撮影

都留重人先生と住友事業精神の教え

住友電気工業社長 
松本正義氏

最悪期と言われて思い出すのは、2000年初めに起こったITバブルです。もともと住友電工は歴史的に多角化・多様化を柱とする会社で、それが当社のDNAなのです。

ところが、ITバブル期に情報通信があまりに大きな存在となり、住友電工も選択と集中に傾き、光ファイバーなどの情報通信向けに走ってしまいました。そしてITバブル崩壊。03年3月期には最終赤字に転落しました。

集中と選択はこれほど恐ろしいものかと痛感しました。トップにはゴーイングコンサーン(継続企業)としての責任があり、そのときだけ良ければいいという判断はまずいのです。当時、私は常務の立場から、住友電工のDNAにある多角化・多様化を前面に押し出すべきと主張していました。今でこそワイヤーハーネスなど自動車向けが売り上げの半分以上を占めていますが、あのままITに突っ走っていたら、住友電工の今はなかったかもしれません。

社長になってから一番苦しかったのは、リーマンショックです。直前の08年3月期は過去最高の業績で、水膨れのように大きくなっていただけに、落ち込み方も激しく、受注が大きく減少しました。

ITバブル崩壊のときにはIT産業だけが厳しく、例えば自動車は右肩上がりでした。しかし、リーマンショックでは、いくらうちが多様化していても、全産業が低迷となれば、どうにもなりません。

そこでまず身の丈に合った組織とコスト構造の再構築をめざしました。

まず気付いたのは、受注が平均4割減でも黒字が出せるということでした。2兆円強だった会社が1兆2000億円でもやっていけた。そこで4割減の受注でも黒字になる組織をめざしたのです。

一番辛かったのはクビ切りです。3カ月ほどで全世界で3万人近くがいなくなりました。間接費も3割カット。給料もボーナスもカットです。この体制で少なくとも2年間は頑張る覚悟でした。一時的な措置ではなく、永遠にこのままかもとの不安もよぎりました。

同時に内部固めの拡大と深耕にも注力しました。ビジネスは、S(安全)、Q(品質)、C(コスト)、D(納期)、D(開発)が大切ですが、忙しさにかこつけて放っておいたものもありました。当然、社内は水膨れになります。これを解消し、S QCDDを徹底追求しました。

会社が縮小する中、唯一、変えなかったものが研究開発費です。企業の成長の源泉は研究開発にあります。研究開発費を削ればその分、利益は増えますが、ゴーイングコンサーンとして、次の世代に引き継いでも困らないようにしなければならない。自分がトップのときに利益を出そうと研究開発費を削るわけにはいきません。

住友家初代・住友政友が残し、400年にわたって受け継がれている「住友事業精神」の中に「遠大なる企画」という教えがあります。自分がある企画を作っても、自分の世代だけでは実現できない場合は次の世代が引き継ぎ、完成度を高めていく。2代、3代にわたって1つのプログラムを完成させるくらいの大きな志を持って企画をせよ、という教えです。

厳しい環境でも研究開発費を削らなかったのは、この住友事業精神があったからです。住友の一員として経営を任された者にとって、困ったときにはこの基本原則に戻ることが大切なのです。こういう真っ暗闇の時期に不安がっていては何も始まりません。トップが綿密な計画を立て、それをきちっと守らせることが重要なのです。

それを教えてくださったのは、一橋大学の恩師である著名な経済学者の都留重人先生でした。強い意志、高い志を持って、決めたことを絶対に成し遂げろ、変化が起こったときには目的をある程度モディファイせよ、といつも叱咤激励されました。その意味では、住友事業精神の1つ、「萬事入精(ばんじにつせい)(誠心誠意立ち向かい、日夜奮闘して成功させること)」に通じます。都留先生はただ「やれ」と言いっ放しではなく、必ずチェックし、フォローしていました。やれと言うだけなら、リーダーとして責任を果たしたことにならないのです。

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