鍛えられるヤンチャ社員

タイトーケンサーモの設立は95年、投資の額はおよそ10億円だった。

タイの工場では日本語やタイ語を交えながら現場の指導が行われている。

「あんたのとこ、何で海外進出せえへんの?」。後日、川嵜はナスダックに上場する同業の経営者に質問したことがある。

「長期にしか回収できん、ごつい投資を株主に説明できんわ」、そんな答えが返ってきた。海外進出は株式未公開のオーナー企業だからこそできた判断だと、今更ながら感じた覚えがある。

現地では日本語と英語とタイ語が乱れ飛び、身振り手振りを交え、タイ人従業員とのコミュニケーションが始まった。

「タイは基本的に農業国です。工業的なことは知れへんから、タイムカードを押して、制服、制帽、安全靴で仕事をするなど、一から教えました」(川嵜)

当初は事務処理に優れた真面目な社員が、タイ赴任には適任と川嵜たちは考えた。が、ときに上司が手を焼くようなヤンチャな社員が、タイでは水を得た魚のように働いたのだ。

ヤンチャな社員が現地に赴き、タイ人に教える立場になると、にわかに勉強を始める。“サワデーカップ:こんにちは”“ローン:暑い”などなど、手帳にカタカナでぎっしりとタイ語を書き言葉を覚える。現地の従業員宅で、タイの家庭料理を一緒に囲み、メコンウイスキーを酌み交わして、現地の従業員と交流を深めたりもする。

タイに数年間赴任し、帰国したヤンチャ社員が、自信に満ちていることに川嵜は驚かされた。品質のトラブルには、真っ先に先方に駆けつけて謝り対策書を提出する。仕事への責任感が以前とは全く違っている。海外進出は人材育成という面からも、思わぬ効果をもたらしたのだ。

タイ進出の翌年は、先の大手クラッチメーカーのマレーシア進出に伴い、他の協力工場と共に現地法人を設立。マレーシアにも5億円ほど投資した。

一方、タイ工場は1年目にはフル操業。

「社長、ごつい設備投資をしないとあきまへん」「そうか、よし!」、現地の責任者と話は盛り上がった。96年当時、約60万台といわれたタイ国内の自動車数は、数年で100万台を超えると誰もが信じていた。