中内が見通した小売りの本分「商品化」とは

ダイエーの歴史
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彼の言う「商品化」とは、駄菓子の例でもわかるように、生産の論理でつくられ配送されてくる商品を、小売り段階で、消費者のために売りやすく、買いやすく、使いやすい形につくり直すことである。彼は、「小売りの本分はそこにあるのではないか」「小売りが提供するその価値こそが、小売業としての発展を約束するのではないか」と見通したのだろう。その後も、卵の透明パック、牛乳の紙パック、砂糖や米の小パッケージ化といった具合に、商品化を積極的に進めた。

遡れば、「主婦の店」という名でスタートし、その後も「主婦のための、主婦による、主婦に喜んでいただける店づくり」を掲げてきた。中内の消費者に向けたその思いが、「商品化」の形をとったとも言える。この概念が生まれて以降、プリパッケージとセルフサービスを軸とするビジネスモデルが定まった。その後、「単品・大量型のチェーン経営による規模の経済性」に加え、ワンストップショッピングの経済を追求するやり方へと業態の重心を移していく。外から見れば業態変化だが、中内には商品化概念の発展形でしかなかった。駄菓子のヒットにまつわる「商品化」の概念の話は、回想録やいろいろの識者との対談に、中内の言葉として繰り返し出てくる。中内にとっても、これが自身の人生の転機だったのではなかったか。

創業者の苦労を、試行錯誤の歴史として記述することが多い。だが、試行錯誤という脈絡のない活動だけで、投資や継続は無理だ。マイケル・ポランニーは、「暗黙の認識」の議論において言う。「たとえその正しさを立証する証拠が手元にないとしても、未来のカギとなる概念を掴み、それが達成される道筋やそれが実現したときの価値についての確信をもつことがある」(石井淳蔵『ビジネス・インサイト』岩波新書、近刊)と。

世界不況のなか、経済における構造改革が切に望まれる現在、「創造的瞬間」の概念は重要だ。だが、その瞬間の経験が意識下に沈んでしまったり、組織のなかで「思いつき」と言われて陽の目を見ないことがあるのは、残念このうえない。誰もが、これまで、何かの折に経験しているはずの「創造的瞬間」。そうした瞬間がしかと存在することを、わが身にそしてわが組織に問うてみたい。(文中敬称略)

(平良 徹=図版作成)