少年の自画像

仙台市役所(2013年1月撮影)。

宮城野高校普通科2年生の菊地桃佳さん。取材から4カ月後にメールを送ると、「将来何屋になりたいか」への答えに変化があった。

「小学校の先生。理由はまたしても土ゼミです(笑)。小・中・高・大の先生方がそれぞれきてくれていろいろ話してくれました。そこで小学校での英語教育のレベルの話になって。言語習得能力って10~11歳ぐらいを境に、体験的習得能力から理解的習得能力に変わり始めるらしいから、いろいろ(批判的な)意見もありますが、小学校での英語教育を変えたいと思ってます。個人的には小学校での英語は大事だと思うので。あとなんと言っても小学生はかわいい(笑)。純粋だし」

「小学生はかわいい」と言った菊地さんは、小さな子どもをよく見ている。9月の取材時に「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」での体験を聞いた。そのとき、菊地さんが話してくれたのは、2泊3日のホームステイで世話になった家の小さな子どもの話だった。

「お母さんは日本人の方で、お父さんが、アフリカンアメリカンのハーフの人だったんですよ。ちょっと見せたいものがあるんですけど、いいですか?」

菊地さんは iPad を取り出す。画面に子どもが描いたとわかる絵が現れた。

「4歳半の子が描いた絵なんですけど、すごいこれが興味深くて」

少年の自画像は、顔が縦に黄色と黒で塗り分けられていた。

「なんていうんだろう。こういうのを、なんていうんだろう——今後この子はどういうふうに育つんだろうか、と、そういうのにすごい興味があって。この子は幼稚園に通い始めたばかりなんですけど。お父さんがこれを見て『自分はそんなに気にしてなかったけど、息子がそういう絵を描くと、やっぱり自分もアフリカンアメリカンだっていうことを思い出す』って言ってて。本人がそう思っていない人種問題というのもあるのかな、とか。そういう考えも、自分の進路、仕事の中にも入れていきたいたいなあと思ったんです」

菊地さんのことばの中には、自分が感じたことを言語化できないもどかしさがある。だが、今はまだ焦って言語化する必要はないのだろう。自分の顔を黄色と黒に塗り分ける少年に出合うという体験——「TOMODACHI~」に参加していなければ手に入らなかったであろう体験をしたことが、今はまず重要なのだ。それは何大学のどの学部に進むかという「戦術」以上に、菊地さんの将来にとって大きな意味を持つように思える。

「うちの学校だけかもしれないんですけれど、先生と面談をすると『将来何になりたいか?』より『どこの大学に入りたいか?』から入るから、自分の夢で大学を選ぶんじゃなくて、学力で大学を選んでるかんじがします。なんていうんだろう、『土ゼミとかをやっているので、夢は自分たちで見つけてくれ』っていう感じなんです。うちの学校はほんとうに全部が自主性だから、そういうかんじなのかな」

もうちょっと詳しく訊きましょう。宮城野高の生徒たちは、進路を決めるときに、肝心なところで放り出されていると感じるときはありますか。

「いや、そういうのはないですけど、宮城野って生徒の個性が強い学校で、周りを気にしないっていうか、自分の中に入り込んでる人が多くて。『自分はこれをするためにここに入った』っていうのが決まってる人は折れないんです。勉強したいって思ってる人はいい大学に行くし、芸能とかスポーツとか、何かを見つけたいっていう人は、それを見つけて出て行くし。ただ、なんとなく入ってしまった人は、3年間ダラダラ過ごすんじゃないかな」

菊地さんの親御さんは何屋さんですか。

「ふつうにサラリーマンです。何の会社だろう? コンピューターのなんかソフト作ってる会社で人事をやってます。母は仙台のGAPでパートで働いています」

親御さんから「そんな夢を見るな」みたいなことを言われたことはありませんか。

「大学選択では言われたことないけれど、留学となるとちょっと話は違うみたいで、『4年間行くのはちょっと難しい』『1年間交換留学とかならまだわかるけど、行ってそのあとどうするの?』みたいなかんじに言われたこと、あります。『家に帰って来なくてもいいけど、できれば日本からはいなくなってはほしくはない』みたいな。お父さんがそんなかんじです。でもお母さんは『もう、ご自由にどうぞ』みたいな(笑)」

菊地さんに親御さんの話を訊いたのは、たとえ学校の自由度が高くても、親がよしとする「自由度」は、また別のものではないかと思ったからだ。菊地さんの答えの中からは、娘を持つ男親の多くが持つであろう本音と、同性として背中を押すお母さんの思いがほの見える。次に登場するのは、親の背中の押し具合が世界レベルという高校生だ。