2013年2月7日(木)

「おひとりさま」は最期まで幸せといえるか

PRESIDENT 2011年5月30日号

著者
内田 樹 うちだ・たつる
思想家、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授

内田 樹1950年、東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業後、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。90年に神戸女学院大学助教授となり、現在同大学名誉教授。合気道六段、居合道三段の武道家であり、神戸市に能舞台と道場を融合させた凱風館を設立。専門は、フランス現代思想、ユダヤ文化、映画、武道等、幅広い。

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神戸女学院大学名誉教授 内田 樹 撮影=熊谷武二
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神戸女学院大学名誉教授 
内田 樹氏

親族というのは生き延びるための制度である。だから、豊かで安全な社会においてはあまり必要性がない。親族が必要になるのは、略奪されたり、餓死したり、遺棄されたりするリスクが高い場合だけである。乏しく、危険な環境にいる人は親族がいた方が生き延びる確率が高く、豊かで安全な社会にいる人はそれほどでもない。親族の存在理由をかつてレヴィ=ストロース(※)は端的に「親族が存続するのは、親族が存続するためである」と書いたことがある。修辞的装飾をすべて剥ぎ取って言えば、それだけのことである。

わが国で1980年代以降、家族解体論がひろく流布した。その頃、私たちは人類史上はじめて「消費行動が社会活動の中心であるような文化」を経験した。人々は、どのような家に住み、どのような車に乗り、どのような服を着用し、どのようなインテリアで部屋を飾り、どのようなレストランでどのようなメニューを選択するか……といった一連の消費行動を通じて「自分が何ものであるか」を表示しうると考えるようになった。

それまで、私たちはもっぱら「親族共同体や地域共同体のために、何をなしたか」に基づいて、自分が何ものであるかを知った。消費社会ではそうではない。人は「自分のために何を買ったか」に基づいて、自分が何ものであるかを知る。これは明らかにきわめて興味深い一個の“民族誌的奇習”である。たしかにすでに世界の過半はこの奇習を採用しているが、それでもこれが一個の奇習であることに変わりはない。

消費社会は親族の解体を要求した。親族の存在が消費行動を制約するからである。

日本が貧しかった時代、消費行動は家族単位で行われた。商品選択については原則的には家族全員の合意が必要だった。臨時収入があると、その使途は家族会議の議題となった。子どもたちの要望はだいたい無視されたが、擬制的には満場一致で使途が決された。

(※注:レヴィ=ストロース(1908-2009)はフランスの社会人類学者、思想家。現代思想における「構造主義」の祖とされる。著書に『親族の基本構造』『悲しき熱帯』などがある。)

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