TOPIC-4 「他人が期待する私」の発見

前回(http://president.jp/articles/-/8333)まで、セルフブランディング論の系譜をみてきました。当初のブランド論は「自分らしさ」の確立と発信を主張するものでしたが、2010年以後のブランド論はソーシャルメディア上で受けの良い情報発信を主張するものへと意味変化しました。先週はその意味変化のプロセスを追いましたが、今週と来週では、この意味変化の内実にもう少し迫ってみようと思います。今週は「自分」のあり方について、来週は「つながり」のあり方についてです。

今週のテーマである「自分」のあり方を考えるにあたって、社会学の「役割期待」という概念を参照することから始めたいと思います。社会学的観点からすれば、自分という存在は全て生得的な特性から出来上がっているのでも、また全て自分自身で作り上げられるものでもありません。アメリカの社会学者ジョージ・ハーバート・ミードによれば、他者からみた自分、もう少し言えば他者から自分への「役割期待」としての「客我」と、そうした「客我」への期待に反応する「主我」という二つの側面から自分という存在は成り立っているとされます(ミード『精神・自我・社会』237-246p、および井上俊・船津衛編『自己と他者の社会学』118-119p)。

「心」を重視する自己啓発書においては、この「役割期待」からの解放が訴えられます。たとえば、連載第2テーマ「心」の回で扱った心理カウンセラー・石原加受子さんの著作では、「他者中心」でものごとを考えるのではなく、「自分中心」で考えることが推奨されていました(『「やっぱり怖くて動けない」がなくなる本』など)。他人に期待され、受け入れてもらえる自分ではなく、自分が心から思うことを優先させて「自分らしさ」を取り戻そう、というわけです。いわば「他人が期待する私」ではなく「私が期待する私」を復権させようとするスタンスが、自己啓発書においてはかなり多く見られるのです。

しかしブランド論は、もう一度「他人が期待する私」に注目します。2009年以前のブランド論では、「自分らしさ」を確立することと合わせて、それが他人に伝わって承認されるところまでを一貫した作業にしよう、とされています。2010年以後のブランド論では「他人が期待する私」がより重要視され、「自分らしさ」にこだわり過ぎず、他人に受け入れてもらえる自分のあり方を見つけ育てていこう、とされています。また、以前紹介した「ブランド・プロミス」、つまり他人が自分に期待する役割を定めるためのキャッチフレーズを案出しようという言及は、「他人が期待する私」に自らはまり込んでいこうとする態度が伺えるという意味で、石原さんの議論とは対極をなすものだといえます。