「お金には少しこだわりたい」

盛岡駅と中心市街地をつなぐ開運橋。市内を流れる北上川に架かる。

岩手県立盛岡北高校3年生の熊谷祐弥さんは起業家志望。実業家になって、法人を自分でつくったとします。本社の登記は盛岡市でしょうか——という問いには「たぶんそうなると思います」と答えた。重ねて訊く。人脈を得るためには、人数の多い東京で——という発想もあると思いますが。この問いに熊谷さんはこう答えた。

「確かにそうかもしれないんですけど、全国的に有名なびっくりドンキーを創った社長さんって岩手出身で、いちばん最初のお店が、盛岡の大通にある『ベル』ってお店なんです。今は拠点が北海道なんですけど。そんなかんじで、のちのち拠点は変わるかも知れないけれど、最初が盛岡だったら、盛岡の人から『あの人の会社は盛岡から始まった』って言われるみたいなのがいいかなと」

ハンバーグレストランの全国チェーン「びっくりドンキー」。創業者の庄司昭夫は1943(昭和18)年、岩手県金田一村(現・二戸市)生まれ。岩手県立盛岡工業高校卒業後、上京。岩手に帰り、1968(昭和43)年12月、25歳で盛岡市に「ハンバーガーとサラダの店・ベル」を開店。1976(昭和51)年に盛岡でカウベルカンパニーを設立。北海道に進出し、1981(昭和56)年に本社を札幌に移した。1983(昭和58)年から「びっくりドンキー」をフランチャイズ展開。現在グループ全体で329店舗(うちフランチャイズが188店)を展開している。庄司は2011年3月、震災の12日後に脳梗塞で没している。享年68。

日本の起業家で会ってみたい人はいますか。

「孫さん(笑)。本に載っていないような、私情っていうか、『こういうことをしたときは、正直こう思ってた』とか、そういう体験話を聞きたい。あとやっぱり、発想について聞きたいです。どうしてその発想に至ることができたのか。たとえば、自分が被災地出身ってわけじゃないのに、自分の持ってるお金を全部寄付するみたいなことがなぜできたのか、そのときどう思ったんだろうって」

ツイッターで訊いてみたら?

「怖いです(笑)」

熊谷さんは「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」に参加して、合州国で起業家に会いましたか。

「起業家を集めて、ビジネスコンテストみたいなのをやって支援する Relay Foundation を立ち上げたブルースさん(Bruce Wilson)に会いました。場所は町の教会です。すごく若くて、25歳よりは下に見えました。金髪の黒縁眼鏡、少しひょろっとした、いかにもインテリって感じです(笑)。ブルースさんは英語で話して、通訳の方がいたんですけど、ブルースさんが次々話すので訳せないところも多くて。でも、訳したところはちゃんと聞きましたし、英語でもわかるところはわかりました。ブルースさんは若いのに、育てる側につくのは早いなあと思ったんですけど、すごいなと思った。アメリカの起業家だけじゃないと思うんですけど、自分の理念とかコンセプトとか、考えをちゃんと持っていて、自分の信じてるものがあって、それがすごいなと思いました」

熊谷さんは将来どれくらいお金が欲しいですか。実業家志望ということは、給料という概念ではないですよね。

「はい。そうですね。たぶん、手に入ったお金って、自分のしたことの価値だと思うんです。だから大量にお金が入れば入るほど、自分はこんなに要求されてるってことだったり、すごいいいことをしたと思えると思うんで、お金には少しこだわりたいかなって思います」

熊谷さんの親御さんは何屋さんですか。

「父が岩手県庁で——今日は父の名刺を持って来ちゃいました(笑)。『商工労働環境部科学ものづくり何ちゃら』」

取材の後半、こちらは高校生たちに「後輩たちにも、皆さんのような『TOMODACHI~』体験があるといいと思いますか」と訊いた。異口同音に「ぜったいあったほうがいいと思う」という答えが返ってきたなかで、熊谷さんがこう言い添えた。

「『TOMODACHI~』参加者だけじゃなくて、岩手の高校生ももっと巻き込んでいければな、と」

それは昨年12月に実現した。