始皇帝は、天下を統一後、唯我独尊の存在としてわが世の春を謳歌していた。

ところが、そんな境遇にいるうちに、「自らの死」を恐怖するようになる。こんな幸せの絶頂を失いたくない……。そんな思いに駆られて、不老不死を追い求めたのは有名な話だが、ここで1つ政治的な問題を起こしてしまう。

それが、皇太子の擁立だった。皇太子とは、自分が死ぬことが前提になった存在、そんなものは立てたくない……。

このため、後継者を定めないまま始皇帝は、前210年に急死してしまう。

歴史的に、絶対権力の空白が生まれると、必然的に起こるのがお家騒動だ。

始皇帝は死ぬ間際、「長男の扶蘇に後を継がせよ」という遺言を残したが、お付きの宦官だった趙高は、それを握りつぶして、自分と親しい末子の胡亥を2世皇帝に据えてしまう。

さらに趙高は、この計画の邪魔となりそうな人物を、次々と葬っていった。扶蘇、蒙恬、李斯、馮去疾、馮劫、蒙毅……こうして、秦王朝創業期を支えた優秀な人材が次々と消えていってしまう。もし、名将の蒙恬だけでも健在であったら、秦王朝は続いていたかもしれない。

さらに、対秦同盟からは項羽という戦の天才が登場する。先ほどの比喩でいえば、ドラえもんがポケットから「はい、戦の天才」といって項羽を取り出し、ジャイアンを叩きのめしてしまったような格好なのだ。

死をも征服したい始皇帝の欲望が、皮肉にも秦王朝を崩壊させていった。