指定されたレストランに到着すると、オーナー一行は、ちょうど夕食中でした。同行の秘書課長さんに「3日も遅れて申し訳ありません。オーナーがお好きだとお聞きしたので、これを買ってきました。食後にでもどうぞ」とアンパンをお渡ししておきました。

緊張しながら、食事中の部屋に入ると、十数名がテーブルを囲んでいる。遅れての合流を詫びたところ、オーナーは「いいよ、いいよ。もう大丈夫か」と言ってくださいました。

「明日から一生懸命やらせていただきます」と申し上げると、秘書課長さんが、「辻さんが木村屋のアンパンを持ってきたんですよ。デザートのときにお出しします」と助け船を出してくれました。

最後は人間の誠意で決まる

するとオーナーは、「そうか。それならさっそくチーズフォンデュにつけて食べてみよう」と言いだされたのです。アンパンをオーナー自ら串に刺して、フォンデュ鍋のチーズを絡ませて一言、「うまい」。さらに「みんな食べてみろ。うまいよ」との言葉に、その場にいた人たちがそろってアンパンフォンデュを食べ始めたのです。

本当はそんなにうまいはずはないのです。オーナーは、恐縮している私を見て、「辻の思いに応えてやらにゃいかん」と自ら場を和ませ、「ご苦労だったな」とサインを送ってくれたのだと感じました。

オーナー以外の方々には一種の笑い話ですが、私自身は、オーナーの気配りに感謝の気持ちでいっぱいでした。

いかにも気配りと気づかせない行動こそ、真の気配りだと思います。評価や見返りを期待せず、人間の本質が生み出す善。気配り、目配り、気遣いなど、いろいろな言い方がありますが、共通するのは、人間の誠意なのです。

※すべて雑誌掲載当時

丸紅 相談役 辻 亨
1939年、大分県生まれ。61年東京大学法学部卒業後、丸紅飯田(現丸紅)に入社。主に紙・パルプ部門を歩み、社長、会長を経て2008年から現職。國松孝次元警察庁長官とは同じ東大剣道部。同部には、トヨタ張富士夫会長も所属。大学受験の当時、東京へは鉄道で24時間。同郷であるキヤノンの御手洗冨士夫会長とも“遠かった”思い出話をします。
(斉藤栄一郎=構成 市来朋久=撮影)
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