尖閣諸島問題、竹島問題を受けて、日中韓の関係は政治的にも経済的にも冷えきっている。このような状況下で、東アジアにおける通貨協力をいかに進めるべきか――。

アジア通貨危機の直後に始まったAMF構想

2012年5月に開かれたASEANと日中韓財務相、中央銀行総裁会議。(PANA=写真)

尖閣諸島問題や竹島問題が起こってから、日本と中国と韓国との間の関係がぎくしゃくしている。以前は、日中間の関係について、政治的関係は冷却しているものの、経済的関係は過熱していたことから、「政冷経熱」と言われたこともあった。しかし、今は、経済的関係までも冷えてしまって、「政冷経冷」と言ってよい状態になっている。

それは、これらの国々で行き来する旅行者数の減少に典型的に表れている。これまでになく空席の目立つ飛行機に乗って、10月に北京に赴いた。「日中の通貨協力」に関する国際コンファレンスに参加するためである。国際コンファレンスに参加してみると、中国の主催者からは、現在の日中間の「政冷経冷」の状況のなかで、よくぞ北京に来てくれたと、これまでにもまして熱烈歓迎を受けた。

このような「政冷経冷」のなかでも日中韓政府間の自由貿易協定の交渉が進められていることに表れているように、東アジアにおいては、各国政府間の自由貿易協定が徐々に締結されつつある。その自由貿易協定に向けての動きは、東アジア地域全体において自由貿易協定の締結を待たずに、民間部門がすでに確固たる生産ネットワークを構築してきたことを原動力にしている。中国に組立工場が建てられようとも、高技術を要するハイテク部品を日本や韓国から輸入し、同時に、それほど技術を要しない部品を東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国から輸入している。このような生産ネットワークが構築されることによって、民間部門においては事実上の経済統合が進みつつある。このような経済統合の進展のなか、域内貿易および域内直接投資が増大するにつれて、東アジア諸国通貨間の域内為替相場の安定化を図る必要性も認識されつつある。とりわけ、世界金融危機以降の過剰な円高ウォン安は、貿易のみならず、直接投資にも影響を及ぼしている。

東アジアにおける地域通貨協力は、今から15年前の1997年に発生したアジア通貨危機を契機にして始まった。アジア通貨危機直後にアジア通貨基金(AMF)構想が日本とASEANで湧き起こった。しかし、アメリカと国際通貨基金(IMF)からIMFとの重複問題およびAMFの緩やかなコンディショナリティ(金融支援条件)によるモラルハザード問題が指摘され、AMFの設立に向かうことができなかった。