弾丸トークの「田舎っぺちゃん」

久慈高校の3人。左から桜庭実紀さん、関口ゆかりさん、小室好さん。

リアス式海岸はここで終わりです——取材時に、久慈の高校生が言った言葉だ。宮城県の牡鹿半島から始まり、気仙沼、大船渡、釜石、大槌、宮古と続いてきた600キロメートル近い海岸線は、ここから北へはなだらかなものに変わり、青森・下北半島へと続く。久慈は「北限の海女(あま)」の地としても知られている。海女を目指す少女を主人公とする今年4月からのNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」(原作・脚本は宮藤官九郎。母親役が小泉今日子、海女役に美保純)は、ここ久慈を舞台としている。

高校生は自分が暮らす町を「すごい端っこ感あります」と表現した。「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」参加者300人の居住地の中で、もっとも北に位置する地が岩手県久慈市だ。人口3万7821人。津波は港湾施設のほとんどと市街地の多くを呑み込んだが、迅速な避難が奏功し、死者・行方不明者は6人(うち1人は市外で死亡)だった。

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久慈市の位置。

久慈を襲う災害は津波だけではない。終戦直前の1945(昭和20)年4月には久慈町(当時)950戸が焼失する大火が起きており、2年前にできたばかりの岩手県立久慈高等女学校(現在の久慈高校)校舎は焼け落ちている。そして、震災の28年前にも久慈は大火に襲われた。1983(昭和58)年4月に市内南部の山林から発生した火災が拡大、海沿いの61世帯が焼け出された「久慈大火」だ。だが、死者は出なかった。その調査報告を読むと、久慈という町の特性が少し見えてくる。

「当日は火災の煙により数メートル先はまったくみえないという状況だったが、被災者の多くは漁師であり日頃から風の方向に敏感なため、避難行動は迅速であった。(中略)また避難形態としては、地域連帯性の比較的強いコミュニティであるため、個別避難よりも集団避難のほうが多かった」。調査は1982(昭和57)年7月の長崎水害、1983(昭和58)年5月の日本海中部地震において、避難警報の伝達手段がテレビやラジオしかなく、犠牲者の行動が遅れたことに触れたあとで、こう書く。「しかし、久慈林野火災においては消防団および消防署の広報車、警察のパトカーといった移動系情報伝達メディア、漁協の有線放送とハンドマイク、あるいは消防団員、消防署員、親戚・知人、近所の人からの口頭コミュニケーションなどさまざまな手段によって、避難指示を伝達している」。

■出典:「1983年4月27日久慈林野火災における避難指示の伝達と住民の避難行動」廣井脩[東京大学新聞研究所]ほか。『1983年4月27日東北地方山林火災大規模化をもたらした異常乾燥強風に関する研究』(東北大学理学部地球物理学教室、1984[昭和59]年収録)

港町らしく、久慈の港を見下ろす三角山一帯には複数の神社が祀られている。9つある社のうち、管理者たる神主がいるのは2つのみ。だが、すべての社が地元の人々の手によってきれいに掃除されているという。津波の際は、多くの久慈市民がこの三角山の参道を駆け上がった。三角山には、市立の「三船十段記念館」がある。身長160センチメートルの柔道家・三船久蔵柔道十段は、1877(明治10)年、久慈に生まれた。「すごい端っこ」の地だからといって、人が出ないわけではない。

「すごい端っこ」だからといって、「キャラ」が地味というわけではない。そのことを確認するために久慈に来た。他地域、複数の「TOMODACHI〜」参加者が「あいつは凄い」と敬意を込めて語る高校生がこの町にいる。たとえば連載第33回《http://president.jp/articles/-/8194?page=2》に登場した宮城・気仙沼の阿部愛里さんは、こう話してくれた。

「300人の友だちの中でインパクトのあった人は、田舎っぺちゃん——久慈市に住んでるミノリちゃん」

ええと、率直に聞きますが、東北から300人集まって、その中であだ名が「田舎っぺちゃん」?

「はい。弾丸トークすごくて。しゃべり出すとオーラが、もう。バーベキュー大会のときに急に入って来て『田舎トークすっぺ』って。『あたしも田舎に住んでんの』って。衝撃的で(笑)。田舎っぺちゃんの久慈市の自慢が『あたしさ、北緯40度に住んでんだけど、北緯40度辿っていくと何があっと思う? ニューヨークとロンドン(笑)』」

ミノリちゃん——桜庭実紀(さくらば・みのり)さんを含め、久慈では3人の高校生に話を聞いた。他の2人は関口ゆかり(せきぐち・ゆかり)さんと小室好(こむろ・このみ)さん。全員が岩手県立久慈高等学校2年生だ。現地に着いてみると、関口さんと小室さんは「TOMODACHI~」の参加者ではなかった。参加者である桜庭さんが、取材の設定を勘違いして学校の友だちである2人に声をかけてしまったのだ。恐縮する3人。しかしこちらは「3週間の合州国体験から帰ってきた高校生は、学校の友だちとどんな話をしているのか」が聞ける面白い機会だと考え、取材を始めた。