最近では目立った企業の不祥事が少なく、コーポレートガバナンスについての議論は沈静している。こんなときこそ、ガバナンスとは何か、出発点に立ち返り冷静に議論すべきと筆者は説く。

法学者と経営学者で見方が異なる理由

しばらく前にオリンパスや大王製紙で不祥事が起こったときには、コーポレートガバナンスについて活発な議論が戦わされた。最近は幸運なことに目立った不祥事が起こっていないので、議論は沈静している。だからといって今の日本企業のコーポレートガバナンスに問題がないと言いきれるのだろうか。

企業はお金を溜め込むばかりで投資をしなくなっているし、しばらく前まで優良だと思われていた企業が瞬く間に経営危機を迎えている。これらは、適切なガバナンスが行われていない証拠といえるかもしれない。不祥事が起こっていないときだからこそ冷静に考えるべきコーポレートガバナンスの問題があると私は思っている。不祥事が起こったときには、悪いことが起こらないようにする制度や慣行に目が向けられるが、悪いことが起こっていないときには、よいことを起こすためにどのような慣行をつくるかが考えられるべきだ。企業経営にとっては、悪いことを起こさないようにすることも重要だが、それとともにあるいはそれ以上に重要なのは、よいことを起こさせる制度や慣行である。

実際のビジネスの世界では、悪いことを起こさないようにするよりも、よいことを起こすようにすることのほうが重要である。製品の欠点を取り除いても、製品の魅力は高まらないのと同様である。また、悪いことを起こさせないように設計された制度がよいことをも起こさせないようにしてしまう場合も少なくない。リスクがあるからといって挑戦しなくなってしまうというケースはその典型であるし、よく見られる現象である。

コーポレートガバナンスの目的は悪いことを防ぐことにあるのか、よいことを促進することにあるのかという問題の立て方の違いは、そもそもガバナンスとは何かという出発点と深くかかわっている。ガバナンスとは何かという基本的な問いへの回答には2種類のものがある。

1つは、株主の意思や期待を企業経営に反映させることがガバナンスだという回答である。これは、法学者や経済学者の間で支配的な問題の立て方である。この立場をとる人々の間では、法的な制度をいかにつくるかという問題が議論の中心となる。法律論で目が向けられるのは、悪いことを起こさないという問題である。よいことをしたら褒賞を与えるという法律論はあまり聞かない。また、経済学は、経営者を含めた人間はそもそもずる賢くて、人を騙そうとする存在だと考える。このような性悪説的な人間観を持つ経済学も、経営者に悪事を働かせないようにするにはどうすればよいかという問題を議論の中心に置きがちだ。

もう1つの回答は、よい経営を担保するための制度や慣行をつくることがコーポレートガバナンスの任務だというものである。経営学者が採用する立場である。よい経営を促すために何をしなければならないかという問題を考えるためには、経営チームがよい経営を行っているかどうかを評価することのできる具体的な評価基準が必要である。具体的な評価基準は、3種類に分けることができる。