「ハート・ツー・ハートは、ますます大切になる」

ハート・ツー・ハートは1983年のインドプロジェクトに際し、インドの会見で発したのが最初。「人間はみな同じ。言語や風俗、習慣、環境が違っても心と心が通じ合うことが重要」と。いま風に表現すればダイバーシティに当たる。この言葉が生まれる前から、鈴木修はその考え方を有していた。

「日本の中で一番優秀なのは官僚だ。彼らの頭脳を使い、例えば3つの答えを用意させる。その中から、政治家は1つを選べばいい。選んで実行するのが政治だ。なのに、政治家は自分たちで3つの答えを出そうとしているから、間違っとる。優秀な人材を使えていない」

また、「本を読んで勉強するのは東大生には敵わない」と認めたうえで「スズキには高卒で入社し40歳で課長になっている奴もいれば、大卒でも課長になっていないのもいる。学歴がすべてじゃない。経営では『勘ピュータ』がモノを言う」と断言する。

「いまの若い男は恵まれすぎていて、母親を女中のようにこき使っている。だから、1人暮らしをさせたほうがいい」

スズキで働く副代理店の跡取り息子を、九州出身者なら敢えて東北に単身赴任させる。実家に帰れないようにするためだ。すると、彼女をつくるが、相手がスズキの女子社員だったりする。やがて彼女はフィアンセとなり、九州に連れて帰る。このとき「2.5人になって帰ることが、よくある。フィアンセのお腹には、赤ちゃんがいるんだ。跡取りまでできて、幸せなこと」。