また、この厳罰化の流れは「精神鑑定」のあり方にも大きな揺さぶりをかけている。東京・渋谷で会社員の夫を妻が殺害し、殺人と死体損壊・遺棄の罪に問われていた“セレブ妻殺人事件”に対して2008年4月、東京地裁は懲役15年の実刑判決を言い渡した。それを聞いて私は驚いた。検察、弁護側双方の鑑定医が「犯行時には心神喪失状態」としていたにもかかわらず、判決では「犯行時に責任能力はあった」と判断したからだ。

刑法39条は、自分の行動を制御することのできない「心身喪失者」は責任能力がないため罰せず、責任能力が限定される「心神耗弱者」はその刑を減じるとしている。この判決では、被告が心身喪失者だったとする鑑定結果を「専門的知見に基づく参考意見」にとどめた。つまり「専門家はそういうけれどもね……」と一応耳を傾けたうえで、犯行の内容や動機などを総合的に判断し、被告人の責任能力を認めたのだ。

実はこの判決が出た3日前、別の事件で最高裁が「鑑定医の公正さや能力に疑いが生じるか、鑑定の前提に問題があるなど合理的な理由がない限り、鑑定の意見は十分尊重すべきだ」との初めての判断を示していた。これは裁判員制度を意識したもので、責任能力の有無の判断は一般庶民には難しく、専門家による結論を尊重すべきとの指針を示したものと法曹関係者の間では受け止められた。

それにもかかわらず、すぐ後に開かれた下級審では、その指針が活かされなかった。確かに「自由心証主義」が認められ、証拠の信用性の程度は裁判官の自由な判断に委ねられている。しかし、簡単に専門家の鑑定を参考意見として脇によけていいのか、はなはだ疑問である。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=伊藤博之)