「気配り」の本質を具体例から探る

そもそも「気配り」とはどんなことを指しているだろうか。

まずは「気配り」の具体的な事例をいくつか挙げ、その共通性や差異性の検討を通じて、その本質を掘り下げていくことにしよう。

【例1】Aさんの同僚は上司に叱られ、ひどく落ちこんでいる。見兼ねたAさんはさりげなく飲みに誘い、励ました。

【例2】Bさんの同僚は、提案書の作成に集中している。Bさんは、作業を妨げないよう、話しかけないようにしている。

【例3】Cさんは、奥さんの誕生日に、感謝の言葉を記したメッセージカードを添えて、花束を贈った。

ごく少数の例であるが、これらの共通性を探るだけでも本質はかなり見えてくる。

1つ目は、それは他者のための行為であり、その人物の快適さの向上を目的として実行されるということである。つまり「利他的」ということだ。

2つ目は、本人の「気づき」と「自発性」によってなされているということである。例に出てくる人は皆、誰かに指示されたわけではなく、自分でやるべきことに気づき、自分の意志で行動を起こしている。

そして3つ目は「さりげなさ」である。文面では明確でないものもあるが、先の事例の登場人物たちは、自分がやることを他人に吹聴したりせず、さりげなく、慎ましく実行しているはずである(実際、そうでなければ、「気配り」という言葉のニュアンスとはやや異なるものとなってしまう)。

利他性・気づき・自発性・さりげなさ……。こうやって並べてみると、なぜそれが容易に実践できないかが、よくわかってくる。身につけることの容易でない人間の「美徳」と呼ばれるものが、そこでは複合的に要求されているのである。