なぜ「乗客の安全」に考えが及ばなかったか

倫理的判断の基準は、役に立つものではあるが、どの程度役に立つかは結局それを使う人間しだいだ。たとえば、「ほかの誰に重大な関係があるか」という問いに対するこのCEOの答えには、重要な要素が欠けている。彼の会社が修理したエンジン部品を使った航空機に乗る人の安全に対する危惧だ。何年もあとに、このCEOは、この決断を下すとき乗客の安全はまったく念頭になかったと認めた。だが、乗客の安全については当然考えるべきだった。

CEOが自分の決断の外部への影響をもっとよく検討していたならば、乗客の安全にも思いが及んでいたことだろう。外部への影響は3つの領域に分けてとらえることができる。

(1)金銭(資本や財務に関わる決断)
(2)人間(会社が協力したり、雇用したり、取引をしたりしている相手)
(3)コミュニティ全般、環境、もしくは他の部外者

目標は、あなたの行動がこれらの各領域にどのような影響を及ぼすかを見定めることだ。

(1)の領域では、CEOはこの情報が漏れたら銀行が融資を引き揚げ、株主は投資したカネを失うかもしれないと考えた。(2)の領域では、この情報を開示することが社員の生活にいかに影響を及ぼすかを危惧した。銀行が融資を引き揚げ始めたら、会社は事業の縮小や場合によっては完全な閉鎖を余儀なくされるのではないかと恐れたのだ。このCEOが自分の決断の倫理性を検討しなかったのは、(3)の、公共の利益の領域についてだった。乗客が自分の安全について自分で判断できるよう、自分にはこの件に関して乗客に情報を提供する責任があるのではないかとは考えなかったのだ。このCEOは、この問いを検討したあとでもやはり、詳しい事実がわからないうちに乗客の間にパニックを起こすのは無責任だと判断して監査書類にサインしていたかもしれない。だが、彼がこの問いを検討しなかったという事実は、倫理的判断の重大な誤りを示すものだった。

では、監査書類に署名するか否かで「正しい」決断は何だったのか。そんなものは存在しない。外部への影響を検討するプロセスも、ほかのどんなプロセスも、唯一無二の「正しい」解決策を与えてはくれない。だが、このプロセスを経ることで、あなたは自分の決断が関係者に及ぼしうる影響を意識的に検討したことになる。いずれにしろ、どこかの時点で決断せねばならない。だが、自分の行動が周囲の世界に及ぼす影響を検討したうえで経営するほうが、間違いなく望ましいはずだ。

(翻訳=ディプロマット)