いうまでもないが、東京にいなくても最先端の研究はできる。国内にも北大や筑波研究学園都市などの実例がある。僕の場合、自然と街の両方に恵まれた札幌で研究生活を送れたというのは、たいへん素晴らしいことだった。そのあたりの事情を公平に見てもらえたらうれしいと思う。

僕は2010年のノーベル化学賞を受けたが、共同受賞者の1人は日本で教育を受けた根岸英一さん(米パデュー大学特別教授)だ。みなさん気が付いているように、とくに21世紀に入ってから自然科学部門のノーベル賞で日本人の受賞が続いている。ノーベル賞を貰ったから偉いということではないが、これを一国の科学技術の水準を測るメルクマール(指標)と考えたら、それだけ日本のレベルは高いということになる。

では、日本をこの水準に押し上げた要因とは何だろう。

ひとつには明治以来、日本政府が進めてきた教育政策が挙げられる。科学技術を振興して工業国となり、製品の輸出によって国民を豊かにする。そのためにすべての国民に小学校から理科を教え、さらに高等教育や科学研究のために少なからぬ予算を割いてきた。100年にわたる取り組みが、ようやく実を結んできたということもできるのではないか。

逆にいうと、科学の最先端で成果を挙げるには非常に長い時間がかかるということだ。

周知のとおり、いまや中国や韓国が経済面で世界的にたいへん大きな存在になっている。だが、遅れて成長を始めた両国からは、いまもなお自然科学部門(化学、物理学、生理学・医学)のノーベル賞受賞者は出ていない(海外移住者を除く)。それは彼らの能力が劣っているからではなく、教育・研究において蓄積が不足しているからだ。

そもそも日本の国土には見るべきほどの資源が存在しない。このことは明治時代からまったく変わらない前提条件だ。となると、科学技術を駆使して、ほかの国ではできないような付加価値の高い製品をつくり、世界中の人々に買っていただく―それ以外に日本が生き延びていく道はないのである。

したがって、日本は今後も科学や教育に力を注がなければならない。いま財政が苦しいからといって、科学や教育の予算を大幅に縮減するとしたら、それは国の将来を危うくすることだ。

この種の悪影響はじわじわと進む。その結果、明治から大正、昭和、平成と大切に育んできたものを無にしてしまうおそれがあるのである。国の政策を左右する人たちには、そのことを肝に銘じておいていただきたい。