心打たれた文章を、何冊ものノートに書き写してきた

日本生命保険 宇野郁夫 相談役
1935年生まれ。59年、東京大学卒業後、日本生命保険相互会社入社。97年代表取締役社長就任、2005年会長。2010年より現職。

私は若い頃から体が弱かったため、病床で読むたくさんの本を通じて、人の英知に触れることが何よりの楽しみだった。感動した文章はすべて書き写してきたが、何冊にもなったそのノートの集積が私自身の哲学になっている。特に、文学でも芸術でも、その分野を極めるために真理を探求し続けた著者の本は、実に面白い。

たとえば直木賞作家であり評論家でもある長部日出雄氏の『二十世紀を見抜いた男-マックス・ヴェーバー物語』は、100年前のウェーバーの英知が今なお輝いていることをわかりやすく教えてくれる。ウェーバーは人としての徳(Virtue)を持ってこそ資本主義は発展するが、拝金主義に走ることによりいずれ危機がやってくると見越していた。

歴史家の林達夫と、哲学者の久野収の対談集『対話・思想のドラマトゥルギー』も私のノートを埋めてくれた本だ。我々の日常におけるあらゆる生活現象は、人の思想の深さや文明の盛衰と密接に繋がっていることを教えてくれる。示唆と洞察に富む、魅力この上ない1冊といえる。

同じく洞察に富んだ本として記憶しているのが、山崎正和の『室町記』である。室町時代は、川が死体で埋もれるほどの戦乱期だったが、一方で今、日本が世界に誇れる芸術の多くはこの時代に生まれたのだ。各人が生き抜くためにそれぞれの才能を開花させる必要に迫られる乱世こそ、多くの優れたものが生まれるのだということを教えてくれた。

日本に近代批評の分野を初めて擁立した小林秀雄と、類まれなる数学者・岡潔の対談集『人間の建設』は、最初に読んでから43年が経ったが、今なお色褪せない感動をくれる名著である。異なる専門分野にいる二人の英知に満ちた対話が、詩人の域にまで達した知的な言葉をもって繰り広げられている。

『遠い崖-アーネスト・サトウ日記抄』は、戦後日本を代表する作家・萩原延壽の大河ロマンで、強く逞しく生きる幕末の人間模様が読む者をぐいぐい引き込む。『今夜、自由を』は、ピュリツァー賞も受賞している2人のジャーナリストの共著で、インドの近代史を描いたドキュメンタリーである。ビジネスにおいて、近年にわかに注目を集めている国だが、過去に数々の宗教的対立や混沌とした時代が長くあったことを理解することが、インドを知る何よりの近道だと私は思う。

これ以外にも、若い人には人間の様々な価値観、生き方を深く教えてくれる伝記や小説を幅広く読むことをお勧めしたい。それが自分の人間の奥行き、深さを与えてくれるのだ。

宇野郁夫相談役が選んだ6冊

■二十世紀を見抜いた男マックス・ヴェーバー物語 [著]長部日出雄/新潮社
■思想のドラマトゥルギー [著]林 達夫・久野 収/平凡社
■室町記 [著]山崎正和/講談社
■小林秀雄全作品〈25〉 人間の建設 [著]小林秀雄/新潮社
■遠い崖 アーネスト・サトウ日記抄1 [著]萩原延壽/朝日新聞社
■今夜、自由を 上・下 [著]ドミニク・ラピエール、ラリー・コリンズ/早川書房

(近野ひろ美=構成 永井 浩、久保田史嗣、芳地博之=撮影)
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