家族もフォローした幸之助のマネジメント

パナソニック創業者 
松下幸之助 

1894年、和歌山県生まれ。松下電器産業( 現・パナソニック)を一代で築き上げた戦後を代表する名経営者。著書『指導者の条件』では、 「 小さな失敗はきびしく叱り、大きな失敗に対してはむしろこれを発展の資として研究していくということも、一面には必要」と書いている。(Time&Life Pictures/Getty Images=写真)

しかし、厳しすぎる叱りは人の意欲をくじいたり、心を傷つけてしまったりする危険性もある。そこで叱った後には適切なフォローを行うことが重要なポイントの1つになる。

これがとてもうまかったのが松下幸之助氏である。実は前回紹介した、松下氏にこっぴどく叱られた経験をつづった後藤氏の文には続きがある。

「深夜であったが、秘書課長が呼び出され、私を送ってくれた。私の女房を露地(注・原文ママ)に呼び出して、耳打ち話。あとで女房に尋ねてみると、ひょっとして自殺せんとも限らん。奥さん、夜通し目を放さんといてくれ。一夜明ける。午前7時。始業前。リリンと事務所の電話のベルが鳴った。受話器をとる。大将自らの多少せっかちな声が優しい。“あッ 後藤君か、別に用事ないねん。気持ちようやってるか。そうか、そりゃ結構や”とすぐに電話を切られる。昨夜、こっぴどく叱られたモヤモヤが、一時にすっ飛んでしまった」

家族にまで注意を促し、翌日にはちゃんと自らフォローを入れていたのである。松下氏が「叱り上手」と言われる所以はここにある。

社員を腐らせた迷言

責任逃れは、社員の士気を削ぐ。仰天発言の数々をとくとご覧いただこう。
参考文献:『会社をつぶす経営者の一言』(村上信夫著)。「社員を腐らせた迷言」でとりあげた社長の肩書はすべて当時のもの。
こっちは寝ていないんだよ!!(雪印乳業社長 石川哲郎)

2000年6月に発生した雪印集団食中毒事件の際、記者会見場で放った言葉。以降、雪印グループの信頼が損なわれ、経営は大きく傾いた。

業績が悪いのは従業員が働かないからだ(富士通社長 秋草直之)

「週刊東洋経済」2001年10月13日号の取材で、業績悪化の責任を問われたときの言葉。約22年間取締役に在任し、同社のドンと呼ばれた。

わたしは知らなかったということで……(コクド会長 堤 義明)

インサイダー取引疑惑で釈明を求められた堤氏は、罪を否認し続けた。後に有罪判決を受け、西武鉄道グループ「堤王国」は崩壊することになる。

パート従業員が勝手にやったことだ(船場吉兆取締役 湯木尚治)

消費期限の偽装を問われた会見場で、湯木正徳社長の次男である尚治氏が言ったセリフ。会見から約半年後、同社は廃業に追い込まれた。

※すべて雑誌掲載当時