この米子東高校は1899年に創立され、旧制米子中学の流れをくむ歴史のある学校だ。柔道場は明治時代に建てられたものだった。それで建てつけが悪く、冬ともなると窓の隙間から雪が舞い込み、畳を白く覆った。しかし、そんなことなどお構いなしで、稽古に打ち込んだ。

「学をやりにきたと思うなよ、柔道をやりにきたと思え」「これから3年間、この世に女はないものと思え」

『北の海(上・下)』
井上靖著/初版1975年/新潮文庫

私も高校時代はそれに近いような毎日で、教科書は柔道場に置きっぱなし。合宿のときは、柔道部の稽古が終わると、今度は近くの警察署の柔道場に行って稽古を付けてもらうなどしていた。何の疑念も持たず、ひたすら練習する。日曜日以外はまさしく“柔道漬け”であった。

翻ってみて、この「練習量がすべてを決定する」ということは、私が携わってきた分析機器の研究開発の世界にも通じるものがあるように思う。大学で電子工学を専攻していた私は、島津製作所に入社してから液体クロマトグラフの開発に携わってきた。しかし、機械、物理、化学などさまざまな知識がないと、目指す機器のイメージができない。そこで、専門以外の論文を読んだり、実験を通して知識や経験を蓄えていく。そんな基礎的トレーニングともいうべきことをどれだけやり抜いたかで、開発した機器のよし悪しが決まる。

また、3年とまでいかずとも、1年くらいは寝食を忘れ、開発のことだけを考えて生活することも大切だった。そうして粘り強く取り組んだ結果、競合会社よりも優れた液体クロマトグラフを世に送りだし、年間売り上げ350億円の主力製品に育てることに貢献できたのだと思う。その意味で『北の海』は、わが人生を再検証させてくれる1冊のような気がする。

※すべて雑誌掲載当時

(伊藤博之=構成 坂本政十賜=撮影)
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