家族にとって素敵なおとうさんだった談志師匠

山本益博氏

【元木】談志師匠の晩年は体調が悪くて満足な落語がなかなかできなかった。あの苦しさは大変だったろうなあ。

【山本】あんな絶望感、失望感はないと思います。自分のしゃべる商売道具が使えなくなってしまったわけだから。

【元木】医者にはマメに行く人だったと思います。身体にものすごく気を遣う。私も2度ぐらい医者を紹介したことがあります。喉に白班症というカビみたいなのができて、癌の一種らしいんだけど、「元木さん、誰かいい医者いないか」というから、「『週刊現代』で名医を紹介する欄を担当している者がいるから聞いてみましょう」って、紹介したこともありました。残念ながらよくはなりませんでしたね。

【山本】やはり落語というのは、他の芸能でもそうなんだけど、ファンになるとか贔屓をもたないと面白くないんです。落語を聴くのにただ落語だけを聴いていちゃダメなんですよ。小三治が好きだ、小朝が好きだというふうに、だれかを贔屓にしてそこから入っていくから、本当の世界が見えてくるんじゃないですか。それなのに全部均一に見てたら、残念ながら落語の本当の面白いところがわからない。談志師匠がもし好きだったら楽屋に挨拶に行きたくなる。評論家といえどもそうなんですよ、落語というのは。

【元木】私はもともと学生のころからの談志ファンですから、会えたときは嬉しかった。

【山本】まずファンであるというのが、一番大事なところだと思うんですね。

【元木】会って顔を見ていればそれだけで満足する談志師匠の単なるファンでした。

【山本】今お聞きすると元木さんの談志師匠との付き合い方というか、距離感が一番絶妙かなと思いますね。

【元木】ずいぶん噺は聞きましたけれども、益博さんみたいにそこまで分析して聴くことは、なかったですね。何度か談志師匠と2人で行きつけの銀座のBar「美弥」に行って、ビールを飲みながら落語の話を聴きました。そのうち落語をやってくれる。ああいうときの至福はなかったですね。立川談志が目の前で落語を自分だけに語ってくれるんですから。

私は、談志師匠が入院して筆談になったときには御見舞いに行ってないんです。師匠もそういう姿を見せるがいやだと思ったので、間接的に話を聞くだけでした。これは松岡さんの話だけど、「誰々がこの間聴いたらよくなったよ、面白かった」と話をすると紙を取り出して、「でも、やっぱり俺が一番」と書くんだって。

【山本】そういうエピソードを知ることによって、その人の芸というものがわかってくるのに、舞台、高座、録音それだけでわかろうと思うと、やっぱり味がないのと、残念ながら書いていることに品がなくなってしまうんです。

【元木】これから立川談志を書くんだったら、師匠の声が出なくなった後の辛さを、知って書くのと知らずに書くのとではまったく違う。談志師匠は入院するとわがままで医者や看護婦を困らせたそうですが、最期はほとんどそういうことがなかったみたいですね。なんであんないい親父になっちゃったんだろう? もちろん体力も気力も落ちてたということはあるんだろうけれど。

【山本】「偲ぶ会」のときも少しだけ娘さんと話す機会があったんだけど、僕が「おかみさんのことを書いた素晴らしいエッセイだったですね」と言った。

【元木】談志さんは、娘さんの本を読む限りいいおとうさんだね。

【山本】信じられないくらい、いいおとうさんですね。