『複雑系の経済学』は、米サンタフェ研究所のブライアン・アーサー教授のほか、田坂広志、多田富雄、吉田和男といった国内の碩学が寄稿した概説書。週刊ダイヤモンド編集部、ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス編集部編/初版1997年/ダイヤモンド社刊『動的平衡』の著者・福岡伸一氏は『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)もベストセラーに。福岡伸一著/初版2009年/木楽舎刊

「複雑系においては、最初の条件のわずかな違いが、大きな結果の違いをもたらす」と田坂氏は指摘する。精密な未来予測モデルを開発することができたとしても、「そのモデルに入力するデータが不正確な値でしかわからなければ、その予測結果は大きく外れてしまう」。

世の中の事柄はすべて一回限り、一回性なのだ。たとえば松下幸之助氏の事績を学び、同じことをするように心がければ、みなが偉大な事業家になれるのか。なれるはずはない。

時代背景や家族やもろもろの条件がそろったなかで、松下という人物が事業家として成功を収めた。そのことは歴史的事実としても、再現可能な法則などあるはずがない。では予測ができない一回性の世界で、人間が主体性を発揮するにはどうしたらいいか。「未来を『予測』するな、未来を『創造』せよ」というのが同書のメッセージで、まったく同感だ。

ところで、古希(70歳)のお祝いをしてもらったときに、私は「やりたいことはやりつくした」と殊勝なことを述べたが、80歳を過ぎたいまは前言を撤回したい。たとえば分子生物学者・福岡伸一氏の『動的平衡』を読むと、世の中には“わからないこと”がたくさんあって、その謎に迫っていくことがどれほど面白いかを再認識させられる。

人間はおよそ60兆個の細胞でできているというのは常識として知っていた。しかし本書によれば、細胞を構成するタンパク質は意外な速さで入れ替わるという。そのことを踏まえて福岡氏はこう記す。

「合成と分解との動的な平衡状態が『生きている』ということであり、生命とはそのバランスの上に成り立つ『効果』である」

1年前の私といまの私は物質的には別ものである。私の記憶はどうやって受け継がれるのかなど、考えはじめるときりがない。すでに85歳を迎えた私だが、とても「やりつくした」という気分にはなれない。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=面澤淳市 撮影=芳地博之)
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