仕事の取捨について考えるとき、私は建設コンサルタント会社に新卒で入社してきた若いエンジニアのことを真っ先に思い浮かべます。彼に与えられた仕事は図面の色塗り。地図に建設予定の道路が描かれて、それをプレゼンで説明しやすくするために、ひたすら色を塗ることを課せられたのでした。

半年経った頃、彼は単調な仕事に耐えかねて「もっと技術者らしい仕事をしたい」と訴えてきました。そこで私は図面を指さし、「この図面の縮尺は? このカーブは半径何メートル?」と質問をしました。彼は即答できず、図面に記入されている数字を読み上げようとしました。その様子を見て、彼がこの作業のファンクションを自分のものにしていないことがわかりました。

実は図面をパッと見ただけで縮尺や道路の半径を把握できる技術は、一流の建設エンジニアになるために欠かせないスキル。色塗りはそれを学ぶ絶好の機会だったのに、彼の目には、無理やりやらされた退屈な仕事として映っていたようです。

そのことを指摘すると、彼は次の半年間、一生懸命に色を塗っていました。与えられた仕事は同じでも、「誰のためか」「何のためか」というファンクションに対する意識を変えた瞬間から、仕事が“時間ドロボー”から“貴重な体験”へ変わったのです。

とくに意識してほしいファンクションは「誰のため」です。自分のためか、他人のためかという視点によって、時間の価値は大きく変化するからです。

自分のためか、他人のためかという2軸で仕事を整理すると、9つのカテゴリに分類されます。このとき、自分満足は低いが、他人満足が高い仕事は単なる「ストレス」です。また、自分は満足しているが、他人満足が低い仕事は「迷惑」といえます。前者は自分の時間を奪われた感覚が強く、後者は他人から快く思われずに後ろめたさに苛まれます。いずれにしても価値の高い時間とはいえません。