彼らに今、熱気を感じる理由

TSMC(台湾積体電路製造)会長のモリス・チャン(張忠謀)。1931(昭和6)年、中国浙江省寧波生まれ。マサチューセッツ工科大学大学院(機械工学)修了。1958(昭和33)年、テキサス・インスツルメンツ(TI)入社。1964(昭和39)年、スタンフォード大学博士号(電気工学)を取得。TIで上級副社長を務めたのち、1987(昭和62)年にTSMC董事長(会長)に就任。(写真=共同通信)

最近は不精になったこともあるのだろうが、こちらから会ってみたいと思うような経営者は国内にはあまり見当たらない。

今、面白いのはやはり中国や台湾で、かつての日本のような熱気を感じる。

中国はまさに第一世代の全盛期で、50~60代を中心に中国経済の主役をうかがう企業家が台頭してきている。

そうした中国企業と連携してチャイワン(中国+台湾)旋風を巻き起こしているのが新興の台湾企業だ。

EMS(電子機器の受託製造サービス)で世界最大手の鴻海精密工業や、半導体のファウンドリー(自ら設計は行わず、受託生産する半導体メーカー)で今や世界一のTSMC(台湾積体電路製造)などがその代表だ。私はどちらとも付き合いがあるが、鴻海のテリー・ゴウ(郭台銘)会長にしても、TSMCのモリス・チャン(張忠謀)会長にしても、日本の戦後第一世代の経営者とそっくりである。

たとえばテリー・ゴウが見つめている鴻海という企業組織の未来図は、松下幸之助が描いていた事業部制のビジョンと重なる。「台湾半導体産業の父」と呼ばれるモリス・チャンにしても温厚な人物だが、変化の激しい半導体マーケットを勝ち抜いてきた戦略眼と先見性は私がこれまでに出合ってきた日本の大経営者に劣らない。

私は30年以上前から台湾の国家レベルでの仕事をしてきたし、台湾の企業人が経験してきた苦境もよく知っている。だから、台湾企業の隆盛は、自分の子供が成長したようで非常に嬉しく思える。

世界に目線を向けて存在感を高めている台湾企業に対して、日本のエレクトロニクス企業の何と内向きなことか。NECも富士通もシャープも全学連末期のような内部抗争を繰り返すばかりである。パナソニックやソニーにしても似たようなもので、内情はどこもお寒い。

かつての日本企業には私が示した提言をすぐに実行に移す意欲と実行力があった。しかし、仮に今、私がコンサルタントとして日本のエレクトロニクスメーカーに「こうすべし」と戦略提言をしても、理解するのに半年以上かかるだろう。まったく理解できない可能性もあるし、理解できたところで実行する力もなければ、人もいない。せいぜいできるのは、タイタニック号の上で椅子の並び替えをするぐらいのことだろう。かって世界を席巻した日本の半導体業界も「役所の指導よろしく」ゴミ箱に集められて公的資金という着火剤で償却されようとしている。「大きすぎて潰せない」論理でできた三大銀行は今や国債買い取り機関として日本国家の生命維持装置となっている。もちろん銀行としての本来業務(預金、運用、決済)には目が向いていない(金利はゼロで運用は国債、決済には高い手数料を取る)。

かって世界に雄飛していった日本の経営者は国に頼ることはしなかった。狭い日本に閉じこめられたら明日はない、という考え方で戦後の焼け野原から飛び出していった。この黄金期の日本の経営者と働いた醍醐味を知っているだけに、今の日本の政治家や経営者を相手に真面目に何かしよう、という気になかなかならない、というのが本音である。

次回は《私が変えたマッキンゼー(1)》。12月3日更新予定。

(小川 剛=インタビュー・構成)