この国では、90年代半ばから急速に政策論争がなくなった。第二臨調を推し進め、専売公社や電電公社、国鉄の民営化を行なった中曽根首相の改革(82~87年)のあと、自民党が下野して日本新党の細川護煕首相が誕生した93年ぐらいまでは政策論争が盛んだった。私が日本を生活者主権の国にすることを目指して政策市民集団『平成維新の会』を旗揚げしたのは92年だが、その頃は道州制の導入による地方分権と中央集権の解体などを訴えて政策論争を挑むと、国民から非常に大きな反応があった。

(中略)一方、細川政権の誕生によって「鉄のトライアングル」のほうは一段と危機感を強め、その後10年間は官僚が敵になりそうな人や組織を自分たちの利権システムの中に取り込んでいく作業をいっそう賢明かつ巧妙に推し進めた。その結果、「鉄のペンタゴン」、さらには「鉄のオクタゴン」の形成に成功し、政策論争が全く起こらない状況になってしまったわけだ。