40代のいいオトナなのに、ひたすら「好き」と言い合うなんて、すごい!

<strong>高橋源一郎</strong>●作家。明治学院大学教授。1951年、広島県生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』でデビューする。『官能小説家』『君が代は千代に八千代に』などの小説のほか、エッセイや評論、翻訳などで幅広く活躍する。近著に『大人にはわからない日本文学史』『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』がある。
高橋源一郎●作家。明治学院大学教授。1951年、広島県生まれ。81年、『さようなら、ギャングたち』でデビューする。『官能小説家』『君が代は千代に八千代に』などの小説のほか、エッセイや評論、翻訳などで幅広く活躍する。近著に『大人にはわからない日本文学史』『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』がある。

山田詠美の『無銭優雅』は、恋愛の自堕落さを徹底的に擁護する小説。ほんとに気持ちいいくらい「好き」しか書いていない(笑)。とにかく恋愛にべったりな40代男女の話です。

ふつう、40代の恋愛には、駆け引きやらお互いを高め合う向上心など、深みやドラマや大人らしさを求められがちですが、この小説にはそういうものが、表面上は一切ない。子どもっぽくて、砂糖水を飲んでいるような甘~い気分になる。

だけど、この2人は「それでいいじゃん、好きなんだから」と、誰に何をいわれようがかまわない。10代がやるようなことを40代で断行するのがすばらしい。恋愛をしているときの楽しさだけをメーンにした、ある意味、純粋な恋愛小説だろうと思います。

純粋にある人だけを思い続けているといえば、ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの『コレラの時代の愛』をおいてほかにないでしょう。これはある人への恋愛心を半世紀以上持ち続けた男性の話です。いろんな事件があって、最後にようやく恋いこがれてきた女性と51年と9カ月と4日ぶりに再会し、思いを遂げるんだけど、すでに男性は76歳になり、女性も72歳に。

出会った頃の彼女とは明らかに容姿も異なるはずです。けれど、恋愛するときには、瞬発力とともに持続する力も求められる。この小説は、死んでも続くようなとてつもない持続力を描いています。現実の時間と愛の時間は別々に流れているということを感じさせてくれます。いくつになっても恋愛はできるのです。

次は恋愛の対象について。リチャード・パワーズの『ガラテイア2.2』は、人間が相手でなくても恋愛は可能であることを教えてくれます。

主人公はある大学に勤めている作家で、同じ大学の科学者から、文学を理解する人工知能の開発に協力してくれと頼まれる。そこで、古典をはじめ、あらゆる文学を覚え込ませ、反応の仕方まで教え込んでいきます。それをくり返していくうち、そのソフトに人格のようなものが生まれ、なおかつ女性らしさが生まれてきたことに彼は気づきます。そして、会話というのか、コミュニケーションをとっていく。

このソフトは彼が丹精込めてつくり上げているから、現実にいる女性よりも、文学的素養もあり、感受性も深くて繊細で、いわば理想の女性となる。こうして次第に惹かれていきます。

結末はあえて言いませんが、すごく泣けます。こんなに泣ける恋愛小説はない。ほんとうに美しい小説です。相手が人間でなくても恋愛感情は抱けるのだと思わせます。