大経営者は消しゴムがでかい

立石さんの著書『永遠なれベンチャー精神』(1985年、ダイヤモンド社刊)。巻頭《推薦のことば》は大前さんが寄稿している。

当時、私は32歳。立石さんは70歳を超えていた。彼は著書『私の履歴書』に「自分の孫ほどのやつがやってきて、250も小言を言われた」と書いている。小言を言った覚えはないが、よく話をした。「先生はどう思う?」と孫ほどのコンサルタントに鋭い質問をガンガンぶつけてくるから、こちらも手を抜かずに答えざるを得ないのだ。

創業以来初めての赤字に陥っていたオムロンは、「マネジメント・インプルーブメント・コミッティー(MIC)」と称した改革プロジェクトの結果、劇的な業務改善を果たして、一年半後には創業以来の最高収益を記録した。

立石さんからは高く評価していただいたのだが、このときに彼が出してきたプロジェクトチームがまた素晴らしかった。集められたのは30代の有望な若手ばかり。チームリーダーに据えたられたのが三男の立石義雄(三代目社長、現オムロン名誉会長)だった。

チームで合宿まで敢行して、徹夜で議論を重ねて会社の問題点を抽出し、事業の見直しや経営資源の再配分を決めた。コーポレートガバナンスの走りのような経営改革、組織改革にも着手した。チームリーダーを中心に、このときのメンバーが後にオムロンの経営戦略を担うことになる。

立石さんや松下幸之助さんと一緒に仕事をしていた当時、私はプレジデント誌に「大経営者は消しゴムがでかい」という論文を書いた。要するに立石さんも幸之助さんも、簡単にオールクリアのボタンを押してしまう。一度決めたことを取り消すのに、まったく躊躇がないのだ。

幸之助さんは色紙を頼まれると、よく「素直な心」と書いた。分かっていない人にはもっと丁寧に「とらわれない、素直な心」と書くこともあった。

「素直な心でやらなあかんで」というのは、状況に応じて変えるということだ。幸之助さんは「状況が変わったんやから、結論も変えればええがな」という言い方をしていた。

立石さんはもっと強烈で、「朝令暮改は経営者の務め」と言って憚らなかった。

状況が変わったら、すぐに戦略を立て直す。戦争を経験してきた経営者は皆、俊敏なのだ。だから立石さんは、孫のような私の提案にも、真剣に耳を傾けてくれたのだろう。

後進に道を譲るべきという私の進言を聞き入れて1979年に社長を辞したが、引退後もプライベートで仲良くさせていただいた。

次回は《大前版「名経営者秘録」(3)——松下幸之助さんの「そうしなはれ」》。10月29日更新予定。

(小川 剛=インタビュー・構成)