ビデオの仕事をしてきた手塚さんが、「ハモニカキッチン」を面白い店にできたのはなぜか。ここはひとつ、最近のありがちなマーケティング思考、ありがちな発想法を一旦捨てて、時間を遡ったほうが良さそうだ。三浦さんが訊き出したキーワードは「特権的瞬間に対応する特権的肉体」。だからハモニカ横丁では、お尻の大きなママトゥーさんが働いているのだ。

手塚一郎(Ichiro Tezuka)
1947年、栃木県生まれ。国際基督教大学卒。79年、吉祥寺にビデオ機器販売店を開店。81年にビデオ・インフォメーション・センターを設立。98年、吉祥寺駅前のハモニカ横丁に「ハモニカキッチン」を開店。現在は同横丁内だけでも10店を展開。
三浦 展(Atsushi Miura)
1958年、新潟県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、パルコに入社、情報誌「アクロス」編集長を務める。90年、三菱総合研究所入社。1999年、カルチャースタディーズ研究所設立。家族、若者、消費、都市問題などを研究。近著に『第四の消費』(朝日新書)、『東京は郊外から消えていく!』(光文社新書)。

洗脳と搾取

ハモニカキッチンのカウンター。

【三浦】ハモニカキッチンを始めるとき、建築家の友だちと一緒にと言われましたけど、建築関係の知人は多いんですか。それまで手塚さん、ビデオの仕事しかやっていなかったんでしょ?

【手塚】建築屋の友達というのは、当時千駄ヶ谷にあったハードウェアという事務所。ビデオ撮影の仕事で近くをクルマで通ったときに入口を見て、「ああ、おもしろそうだな」と思って、1979年に最初のビデオの店をやるときに内装をやってもらったんですよ。

そのハードウェアに、ステンレスのすごい扉があったんです。「これ、使う」って40万円くらいで買って、吉祥寺に持ってきた。今、ハモニカキッチンのカウンターになっていますよ、ステンレスの。

【三浦】扉が?

【手塚】そう、扉。もともと美術とか、造形とか、そういうものに興味があったし、ビデオ撮影の仕事でも芸術家関係の取材が多かったし。いろんな人に会いましたよ。粟津潔の家は原広司がつくったんだけど、そこで粟津潔にインタビューしたりとかね。

【三浦】そういうものを介して建築とか、人脈も。

【手塚】そう、少し人脈もあった。街なり、ある空間を自由にデザインする建築という仕事は面白いだろうなとは、漠然とは思っていましたけれどね。

ただ、最近は建築があまりに意図的なんだよね。更地にして、デザイナーがデザインして、すでにあるお店を持ってきて組み合わせるっていうやり方はあまりにも大雑把で不遜なやり方だと、ぼくは思うようになりましたね。だから六本木ヒルズのことを、ぼろくそに言っていたわけですよ。

最近死んじゃった森稔の本を読んで知ったんだけど、あの人も地域密着型の六本木ヒルズだと言っていたんだね。それでも、あれが地域密着型なのかとは思う。1945年に日本が戦争に負けて民主主義になって、ぼくは団塊の世代だからアメリカのものが好きで、つまりはぼくも騙されてアメリカ民主主義に洗脳されていたわけで。その夢をどこで買うのかというと、デパートに代表されるような「与えられたもの」でしかない。ぼくが見ていた夢は、アメリカから与えられた夢でしかなかった。これってすごい洗脳と搾取だよ。

その反動なのかな。何か、つくられたものではない、一度は潰れたような廃墟のような横丁からぼくは店を始めた。三浦さんがやっているリノベーションもそうでしょう? 更地にしてやるのではなく、時間の中でしかできない、人間の作為だけでは取り返せない場所から始める。

でもこれ、考え方としてかなりまとまり過ぎてるんだよね。ほんとうはこういう考え方、あまり好きじゃないんだよ(笑)。最近は横丁を昭和レトロとか、みんな言うんですよ。ぼく、レトロとか全然好きじゃないもん。もっとわからないのがいいんだよ。謎のようなものがいいんじゃないかなと思ってる。

■ハードウェア
1974年に建築の設計・マネジメント組織として東京都渋谷区千駄ヶ谷に設立。前身は、1969年に埼玉県浦和市(現さいたま市)で創立した消費者運動のマーケティング会社「関東ハイム」。現在は株式会社ソマードに改組。
■粟津 潔
あわづ・きよし。グラフィックデザイナー。1929年、東京都目黒区生まれ。69年に粟津デザイン研究室(現・粟津デザイン室)設立。建築・音楽・文学・映像など多ジャンルで活躍。69年、映画「心中天網島」美術で伊藤喜朔賞受賞。主著に『デザインの発見』。
■原 広司
はら・ひろし。建築家。東京大学名誉教授。1936年、神奈川県生まれ。70年代に世界の集落を調査。主な作品に大阪の梅田スカイビル、JR京都駅、宮城県立図書館、札幌ドーム、東京大学生産技術研究所など。
■森 稔
もり・みのる。森ビル元会長。1934年、京都府生まれ。森ビル初代社長・森泰吉郎の次男。2012年没。著書に『ヒルズ 挑戦する都市』(朝日新聞出版)。