この気風はどこから生まれたのか。38年に創業(旧名・東洋無線電機製作所)した同社は、40年から旧陸軍向けに気象観測用のラジオゾンデの製造・販売を開始。戦後はそれに加えて、日本電信電話公社(現NTT)の電話機や交換機の指定メーカーとして業績を伸ばし、74年には、気象庁に地域気象観測システム「アメダス」の納入を開始している。

明星電気取締役
技術開発本部長
柴田耕志

「ラジオゾンデは30キロ上空で気温・湿度を測定し、その後破裂する使い捨て。地上で最高40度、上空でマイナス100度という環境で機器を作動させなければなりません。この性能向上とコストとの相克が我々の原点です」(柴田氏)

「ロケット開発の父」と呼ばれた工学博士の故・糸川英夫氏が55年、初めてペンシルロケットやベビーTロケットを手がけた際には、「ロケット出現以前に最も宇宙と近いところで仕事をしていた」(柴田氏)

同社は、ロケットのデータ送受信機から地上のアンテナまで協力要請を受けている。

「70年に打ち上げられた日本初の人工衛星『おおすみ』が、地球の周囲を一周したことを確認したのは私の上司」(柴田氏)

以来、宇宙に出ていった製品は、何十年の間に2700を超えた。会社のサイズを考えれば、驚くべきことだろう。

際立った特徴は、そのほとんどが特注の“一品モノ”であることだ。

「1個しかつくらないので、ゼロから図面を引かなきゃいけない。工数はかかるしリスクは高い。いいことが1つもない」

と、柴田氏は苦笑する。

「でも、我々はそれでも何とか利益を上げてやってきました。そこが今、強みに繋がっているところもあります。うちの社の意識として最も特徴的なのは、他社ならリスクを危惧してやらないものを、ごく普通にやってきたことだと思います。こういう精神は残していかないと」(同)