「自分がそこにいると感じられる」ために仕事をする

「評論家」としての春樹がしくじるのは、きまって「『しろうと』と思われたくない!」という意識にとらわれたときです。一般的にいって、成果をあげることよりも「じぶんがどう見えるか」に意識がいってしまうと、ものごとはうまくいかなくなるようです。

そういえば、楠木さんのセミナーで、こんな質問をした人がいました。

「やっぱり最終的には、だれもやってないようなすごい戦略を、どうやって立てられるかが大事じゃないですか?!」

その人の挑みかかるような口調を聴いて、私は思いました。

「きっと、『大したヤツ』であることを証明するために、鮮やかに勝ってみせたいと思ってるんだろうなあ・・・・・・」

じぶんを誇示するために勝とうとすると、どうしてもはっきりとしたアピールポイントをつくりたくなります。それは結局、「センス=連繋力」よりも、「必殺技」をおもく見ることにつながります。

楠木さんに質問した人は、「大したヤツ」と思われることをもとめていたので、「必殺技」を否定されて、おもしろくなかったのでしょう。けれども、「他人にどう思われるか」にとらわれると、村上春樹ですらつまずくのが現実です。

かといって、たいていの人間は、他人にじぶんの価値をみとめさせるために勝利をめざします。そこをあきらめてしまったら、何を仕事のモチベーションにすればいいかわからない、という人も多いはずです。

「ひどく苦しい。しかし苦しいことは私の不幸ではない。逆に楽なことは私の幸福ではない。もっとも大事なのは、自分がそこにいると感じられること、本当に心の底から感じられること。重要なのはそれだ。」(『Sydney!(1)コアラ純情篇』)

バルセロナオリンピックの女子マラソンに挑む有森裕子をえがいた、春樹の文章の一節です。ここでも春樹はおそらく、有森に仮託して、小説家としての自己を語っています。

「『大したヤツ』だと他人に思われる」ためではなく、「自分がそこにいると感じられる」ために仕事をする――そういう人間こそ、一流の成果をあげられるのでしょう。将棋の羽生善治も、

「タイトル戦の終盤、すごい強敵を相手に、死にそうに疲れはてながら将棋を指していると、生きてることをつくづく実感する瞬間がある。その瞬間を味わいたくて、じぶんは将棋をつづけている。」

といっています。