目の覚めるような斬新なプロットなど存在しない

僕が自分の仕事で『映画はやくざなり』からもっとも影響を受けた部分は、映画の脚本を書くという仕事における「何をどういう順番で考え、モノにしていくのか」という仕事の順序の重要性だ。

「ものごとがおきる順番に配慮した因果論理」に優れた戦略の本質がある(だから戦略は「ストーリー」になっていなければならない)というのが僕の見解だ。算数の時間に習った「順列」「組み合わせ」を思い出してほしい。この2つは意味が異なる。打ち手の「組み合わせ」だけでは優れた戦略になり得ない。むしろ本質は「順列」にある。「コトの順序」が肝心なのだ。

例えば野球のピッチャーの戦略で考えてみよう。あるピッチャーがいて、この人の手持ちの球種には3つしかないとする。ストレート、カーブ、シュートだ。ストレートはせいぜい140キロのスピードしか出ない。しかし、シュートの切れはよく、大きく曲がるスローカーブのコントロールにもなかなかのものがある。

成果を出す(バッターを打ち取る)ために、このピッチャーがとるべき戦略は何か。「順列」という時間軸が入った考え方がないと、戦略の焦点は個別の構成要素に向けられる。140キロのストレートを150キロにしろ、フォークボールもマスターしろ、という話になる。しかし、それでもなかなかうまくいかない。挙句の果てに、大リーグ養成ギプスをはめて消える魔球(専門用語でいう「大リーグボール2号」)をマスターしろ、という話になる。これはでは戦略として話にならない。肩を壊してしまう。そもそも「消える魔球」といった必殺技や飛び道具なんてないのがビジネスだ。
だから、自然に考えてピッチャーの戦略は「順列」の問題となる。球数はシュートとカーブとストレートだけでいい。スピードもメチャメチャ速くなくていい。ただ、1球目に内角をえぐるようなシュートを投げる。バッターの腰が引けたところに2球目は外に流れるスローカーブ。バッターは体が泳いで打ち損じ、ファールになる。で、3球目に、スピードはないが内角ぎりぎりにビシッと決まるストレートを投げて打者を詰まらせ、内野ゴロで打ち取る。これが「コトの順番で勝負する」ということであり、戦略ストーリーの本質である。

映画づくりもこれと似ている。「だれもが思いついてない目の覚めるような斬新なプロット」などそもそも存在しない、というのが笠原のスタンスだ。普通の人間が面白いと思うストーリーはすでにすべて出尽くしている。どこを見渡しても、「日の下に新しきものなし」なのだ。