リーダーは名誉と栄光を得ようと決断をしがちである。これを抑制するのは利害得失の数値的な判断である。よい企業経営を持続させるにはこれらの使い分けが欠かせないと筆者は説く。

脱原子力依存の議論の行方は

原子力発電への依存度をめぐる政府主催の公聴会で東北電力の社員が意見を表明したことに対して一部の参加者から「やらせ」だという批判が出たために、今後の公聴会では電力会社の幹部や従業員による意見表明は行わせないという方針を政府が決定した。表明された意見の内容に対する批判ではなく、意見表明そのものを否定するものだ。

この出来事を聞いて思い出したのは、経済学者のハーシュマンの著書『情念の政治経済学』(法政大学出版局)である。ずいぶん昔に読んだ本である。英語のタイトルは『Passions and the Interests』(『パッションとインタレスト』)である。パッションを情念と訳すのは否定的な意味を強調しすぎかもしれない。本文中では「名誉と栄光を得ようとする努力」という言い換えが行われている。情念という言葉より情熱という言葉のほうがよいかもしれない。小論では、パッションというカタカナ言葉を使うことにしよう。このパッションは国民から大きなエネルギーを引き出すこともあれば、深刻な災禍をもたらすこともある。このパッションを制御する役割を演じるのが、インタレスト(利害得失)を冷静に考えようとする精神である。

このような精神が勝ちすぎると、誰もが目先の自己利益しか考えず、全体の利益や長期の利益がないがしろにされるという問題はあるが、リーダーの独断専行を抑える力にはなる。本書は、専制国家よりも資本主義的国家が安定している理由を説明しようとしたものだが、資本主義的な社会でも、リーダーは名誉と栄光を得ようとする決断をしがちである。そのようなパッションが政治家を支えるものであり、次の選挙での得票につながるからである。その結果として華々しいがリスクのある決断が行われてしまうリスクがある。そのときには、経済的な利害得失を冷静に考える必要がある。このバランスをとるのが政治的リーダーのもっとも大切な仕事だといえるかもしれない。

電力会社の社員や幹部の今後の意見がどうなるかはわからない。しかし、それはパッションに流されたものよりは原子力発電への依存を減らすことについての利害得失を冷静に議論しようとしたものになる可能性が高い。このような意見の表明を許さないという政府の決定は、今後の判断がパッションに流されてしまうリスクを高めてしまう。パッションがないとできない大きな決断があるのも確かだ。しかし、そのような大きな決断には、大きなリスクがある。そのリスクを考えると、決断に当たって、利害得失をめぐる冷静な声に耳を傾ける必要がある。それをもとに考えうるリスクに備えることができる。このバランスをうまくとるのは容易なことではない。パッションにとりつかれた人から見ると、冷静に利害得失を語る人々は守旧的な妨害者に見えていらだちを感じてしまう。冷静な意見を考慮した判断は、「かっこよくない」「すっきりしない」とみなされることもある。しかし、そのような人々の意見にも聞くべき要素はある。