60年代の皮を被った80年代

『ノルウェイの森』は、春樹が大学生活を送った60年代末が、おもな舞台となっています。この小説を、時代考証に忠実な作品とみなすなら、緑は時代にさきがけたキャラクターということになります。

けれども、ワタナベが直子や緑とつむぐ物語の世界には、80年代のことだとかんがえなくては、理解できない要素がたくさんあります。

まず、登場人物のファッションです(毎回、服の話でもうしわけありません)。大学生になったワタナベが上京してきて、直子と再会したのは、日曜日の中央線の車内でした。このとき、ひとりで映画を見に行くつもりだった直子は、トレーナーを着ています。タウンウェアとしてトレーナーが、もっともひろく若者に着られていたのは、80年代後半でした。60年代末には、女性がトレーナーを着ることそのものが珍しかったはずです。

それから、上巻の末尾に、療養施設で直子のルームメイトになっているレイコさんが、バックハウスとベームによる、ブラームスの第二ピアノ協奏曲を聴く場面があります。レイコさんはこの演奏について、

「昔はこのレコードをすりきれるぐらい聴いたわ。本当にすりきれちゃったのよ。隅から隅まで聴いたの。なめつくすようにね」

と語ります。

バックハウスとベームのブラームスの第二協奏曲は、クラシックマニアなら知らない人はいない名盤です。このディスクが録音されたのは1967年。作中でレイコさんがこれを聴いているのは、そのわずか2年後の69年という設定です。「昔、すりきれるぐらいこのレコードを聴いた」というレイコさんのせりふは、あきらかに不自然です。

この不自然さは、『ノルウェイの森』の舞台を、この小説が執筆された1986、7年ごろと見なすなら解消します。30代後半のレイコさんは、ハタチ前後でこの名演と出会い、愛聴したことになるからです。

『ノルウェイの森』にえがかれているのは、「60年代の皮を被った80年代」とでもいうべき世界です。だとすれば、80年代に急増した「緑のような子」のありかたが、緑のキャラクターに反映されている可能性もありえます。

ちなみに、『ノルウェイの森』が発売された直後、60代の文芸評論家が、

「緑という人物が理解できない」

と発言したことがありました。これに対し、社会学者の上野千鶴子が、

「ああいう子、いまどきたくさんいるじゃない。おじさんは知らないのかしら。」

とコメントしました。この上野のことばからも、緑がきわめて80年代的なキャラクターであったことがわかります。