2012年8月24日(金)

ズッキーニ――イタリアンブームで注目を集めた“白無垢の花嫁”

dancyu 2012年6月号

福地享子=文
【つくり方】
ズッキーニを、全体がしんなりするまで焼く。田楽風なので、焦げ目もご愛嬌。香ばしさが加わる。そして、市販の田楽味噌をタラリ。薬味に七味唐辛子か中国の実山椒の辛味を添える。木の芽で彩りを。

なりそこないのカボチャ。といったら怒るだろうな、ズッキーニ。イタリア語でカボチャはzucca。ズッキーニとなるとzucchina。ちっちゃいカボチャの意味だ。ちゃんと成熟しなきゃカボチャの本領は発揮できないが、未熟で食べられるものから、世代交代するうちに生まれたのがズッキーニである。今では人気野菜のひとつ。なりそこなってバンバンザイってこと、この世にはあるのさ。

黄色のものもあるが、緑のものが主流。緑のものは、キュウリそっくり。そこで、珍事発生。昭和52年、築地にアメリカからズッキーニがやってくることに。ところが、ホントの正体がわかってなかったので、税関に、キュウリ、と答えたから、さぁ、たいへん。当時、キュウリは輸入禁止品目のひとつ。あわや焼却処分! の寸前でカボチャの仲間とわかり、店頭にならんだのだった。

珍事の主役は、故大木健二さん。築地仲卸「大祐」の創業者、というより洋野菜の神様みたいな方だ。戦前の京橋大根河岸のやっちゃ場奉公を皮切りに、戦後は進駐軍や東京オリンピックの選手村への納入で洋野菜に開眼。世界各国を飛び回り、さまざまな野菜を日本へもたらした。パプリカ、アンディーブ、トレビスほか、近年の洋野菜の多くは、大木さんの手を経て普及した。先年、93歳で大往生。私は晩年にしか出会えなかったが、野菜の話になると、とまらなかった。海外からの情報も少ない時代、手がけた野菜のそれぞれに冒険談や笑い話があふれているが、それこそが大木さんの原動力、と思わせる熱っぽさだった。ズッキーニの珍事も、いかにも、である。

さて、珍事を経て店に並んだ後は、というと、種屋さんの眼にとまり、昭和54年には長野県で国産初が誕生。イタリア料理がブームになるや、トマトだけじゃないぞ的スタンスで注目を一身に。花が食べられるというのも珍しく、カボチャの仲間という証のような黄色の花のフリット、大感動で食べたもんね、私。

現在は宮崎県児湯郡が大産地に。栽培環境は高冷地向きだが、ハウス栽培で秋から冬、春先まで出荷している。本来の旬は、初夏から夏で、そのころには、長野、群馬、千葉、茨城県など、多方面から露地物がやってくる。

大木さんは、ズッキーニを「白無垢の花嫁」にたとえていた。ラタトゥイユのような煮込みよし、揚げてよし、焼いてよし。料理人の腕しだいでいかようにも使えるところが、うぶな花嫁に似ているから、と。私、白無垢に焼き焦げつくってスマンけど、シンプルに焼いてみた。

ほのかな甘味と青くささは、まさしくうぶな花嫁。お好きなソースでどうぞ。

この連載記事のバックナンバー
トップページへ戻る

福地 享子

かつて女性誌の編集者、その後、築地の鮮魚仲卸「濱長」の看板ネエサンとして大活躍。現在は築地の書庫「銀鱗文庫」役員。ここを拠点に、築地を走り回っている。