情報が行き交う社会では、よい評判を博せるか否かが、物事の成否を決めてしまうことがある。

現代でいえば、書籍やCD、飲食店などがネットで5段階の評価を受け、売れ行きが左右されるようなものだが、実はこれ、中国の戦国時代でも同じだった。『戦国策』にこんな話がある。

燕の昭王は、酷い敗戦の後に位についたため、その恥をすすぎたいと、頭を下げて、高額な報酬で人材を招こうとした。

そこでまず、郭隗(かくかい)という自らの育ての師に教えを請いに行く。すると次のように言われた。

「人材を招きたいとおっしゃいますが、それにはいくつかの方法があります。

まず、頭を下げて教えを受ける。こういった態度で招くなら、自分よりも100倍すぐれた人材が集まります。

また、相手に敬意を表し、その意見にきちんと耳を傾ける。これなら、自分よりも10倍すぐれた人材が集まります。

一方、相手と対等にふるまう。これでは、自分と似たり寄ったりの人材しか集まりません。

さらに、肘掛にもたれて、杖をにぎったまま横目で指図する。こんな不遜な態度では、集まっても小役人レベルでしょう。

また、頭ごなしにどなりつけて叱りとばすような態度では、もはや下僕のような人間しか集まりません。

これが人材招致の秘訣なのです。王も『広く国内の人材を選んで教えを受ける』という評判が広まれば、天下の人材が集まってくるでしょう」

「では、一体誰にまず教えを受けたらよいのですか」と王が聞くと、郭隗はこう答えた。

「こんな話を聞いたことがあります。昔ある王が、千金を投じて、1日に千里も走る名馬を求めました。しかし、3年たっても手に入りません。すると、お付きの者が、『わたしが探して参ります』と志願しました。

王から任されたこの男は、3カ月後に、千里の馬の居場所を聞き出します。ところが行ってみると、すでに馬は死んでいました。すると男は、その馬の骨を500金で買い取り、帰って王に報告しました。『欲しいのは生きている馬だ。死んだ馬に500金も出す馬鹿があるか』と王は怒りますが、男はこう答えます。『死んだ馬さえ500金で買ったのです。生きた馬ならもっといい値で買ってくれる、ときっと評判になります。馬はすぐにでも集まってきます』

はたして1年もたたないうちに、千里の馬が3頭も集まってきたとのこと。

もし王も、本気で人材を招こうとなさりたいなら、この隗からお始めください(まず隗より始めよ)。私のような者でも大切にされるなら、さらにすぐれた人物は、千里の道も遠しとやってくるでしょう」

昭王は、言われた通りに彼を師と仰ぎ、破格の待遇を与えた。すると、各国から有能な人材が続々とはせ参じたという──。

現代でも使われる、「死馬の骨を買う」「まず隗より始めよ」という成句の出典となった一節だ。

結局、大量の情報が錯綜する状況では、まず「死馬を買う」の話のように、「え、そんなことまで」と周囲が驚く振舞いをしてみせないと、望ましい評判は立ってくれないわけだ。

ただしこのとき、何も自分が不慣れで特別な振舞いをして、評判を立てるわけではない、というのがこの話の眼目なのだ。郭隗先生のように、自分の身近にある馴染みの対象に努力や資源を集中すればよい。

現代の仕事にこれを例えるなら、よき評判が欲しければ、惰性で処理しがちなルーティンワークを、まず馬鹿みたいに磨き上げてみよ、するとその卓越性にこそ評判は立つ、といった教えなのだろう。