「プラグマティズム=道具主義=デューイ」と丸覚えした記憶がある。何事も有用性が大切という主張はわかりやすかったが、受験勉強での浅い理解では、そんなの当たり前じゃん、という感想しか持てなかった。「道具・実用」の訳語も「止揚」「構造主義」等のいかにも哲学的な用語と比べ、いささかショボい印象だったのは否めない。

さて、プラグマティズムとは何か? 本書ではパース、ジェームズ、デューイと連なる系譜を解説しつつ、その思想の意義を現代社会の諸問題に当てはめて論じている。著者は元々は土木工学専攻で、都市計画やそれに伴う需要分析等に携わってきた。語り口は具体的で明快、本書で紹介されているグランドマザー・テスト(祖母に説明してわかってもらえるかどうか)にも十分合格できるレベルだ。

ところで、最近は学生による大学の授業評価が一般的になってきた。そこで私はできるだけいい授業をしようと、そればかり考える。しかし、突き詰めれば教育の真の目的は「学力を向上させる」ことであり、「いい授業をする」ことはそのための手段にすぎない。社会学者のマートンはこの勘違いを「目的の転移」と呼んだ。

社会に蔓延する目的の転移を克服するにはどうしたらいいか。目的と手段の階層構造を認識し直し、より上位の目的に思いを馳せ(上昇運動)、目的達成のため多様な手段を検討する(下降運動)。著者はこれを「プラグマティズム転換」と定義づけ、その必要性を説く。(1)何事も(目的を十分吟味したうえで)「役に立つかどうか」をベースに考える。(2)目的が「お天道様に恥ずかしくないものか」常に問いかける。

要約すると、プラグマティズムの作法はこの2つだという。(1)は高校時代の私の理解とそう変わらない。ポイントは(2)で、著者はウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」を紹介しながら、「あなたの参加している言語ゲームはお天道様に恥ずかしくないですか?」と読者に迫る。

概念整理をした後の第二部は日本社会の諸問題に関する各論だ。それにしても、一冊の中でこれほど書き方のトーンが変わる本も珍しい。第一部で客観的・分析的に先人の知見を解説してくれた藤井先生は、ゆるぎない価値観を持った一個人として我々の前に再登場するのだ。

某大手外食企業のプラグマティズムにもとる行為には、実名を挙げ、相当執拗かつ辛辣に批判を加えている。「ここまで書いて平気?」とハラハラするほどだ。何が崇高な目的で、何が下卑た企みなのか。それを分ける論理的な方法などないと断ったうえで、しっかりと自分の立ち位置を定めているのである。

著者は『列島強靭化論』(文春新書)『救国のレジリエンス』(講談社)と出版ピッチを上げており、注目度上昇中。はじめて読むなら、2つのテイストが味わえる本書がお勧めだ。