予想外だった人事40代での「学び」

帰国してしばらくすると、国際部門を離れて新橋支店の次長に出た。支店勤務は、新人時代に新宿支店に約2年いて以来。予想もしない人事だったが、専売公社(現・日本たばこ)や電電公社(現・NTT)、日本石油などの大企業から中小企業、個人客まで、多彩で豊富なお客を持つ中核支店のナンバーツーだ。新たな「学びの心」が湧き出てきた。だが、わずか9カ月で、頭取と行動をともにする秘書役へと異動した。出ばなをくじかれたような思いがしたことを、いまでも忘れない。

秘書役の仕事の中心は頭取の海外出張への同行だ、と言われた。そのつもりでいたら、頭取に「常務会に出て、記録を取れ」と命じられた。常務会のテーマは、大半が国内業務の案件で、国際部門に長くいた身にはわからないことだらけ。終わるたびに、部長たちのところへいって、「今日、おたくの担当常務からこういう話が出たが、どういう意味ですか?」と聞いて回る。専門用語の意味も教えてもらい、銀行でやっている重要なことを次々に知っていく。40代後半、たいへんな役割だったが、ここで学んだことが、のちに頭取になったときに大きな力となる。

1年前に社長になった日本政策投資銀行は、2008年10月に株式会社となり、政府依存からの脱却を目指している。まだ、政府が全株式を持っており、東日本大震災からの復興や新エネルギーの普及など、公的な役割が大きく求められている。でも、今後は医療や環境の分野を拡充し、ほかの銀行などとの競争が増える。先々は株式が一般に売り出され、普通の銀行になっていくのだから、避けては通れない道だ。

株式会社化と同時に本格化させた国際業務も、8000億円の規模になり、投融資全体の5%を超えた。最近は、航空機購入への融資も手がけ、アブダビの政府系企業と風力や太陽光による発電などで連携することに合意した。タイの銀行と業務契約も決めた。そういう新規分野が軌道に乗れば、来年度末に1兆円規模とする目標も難しくはない。

ただ、普通の銀行のような預金業務がないので、投融資のための原資は、資金が余っている地方銀行から借り入れたり、債券を発行したりして賄う。政府の後ろ盾に頼らず、自力調達の比率を高めていくことは自立につながるが、政府保証で債券を出していたときよりも、金利つまりコストは高い。だから、より有利な条件で調達できるように、世界中の市場や金融機関を活用していかねばならない。そこで生きるのが、英国勤務で経験し、学んだことだ。

「烈士暮年、壮心不已」(烈士暮年、壮心已まず)――『三国志』の主役の一人である曹操は、戦いに強かったことで知られるが、詩人としても優れた人だった。その曹操の作品の一節に、この言葉がある。節度を守り、男らしく生きる志士は、年をとっても若々しい心を失わない、との意味だ。曹操は、当時としては長寿といえる60代半ばまで生きて、読書を続け、詩を残す。

いつまでも若々しい心を持ち、学び続けたい。その思いは、喜寿を迎えても、いまなお「学びの心」を大切にする橋本流に重なる。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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